その二、憧れのひととおねぇたま



 春休みも半ばを過ぎて、暦の上ではもうとっくの昔に春なんだけど、それでもまだまだ外の空気は冷たくて、春一番はとうの昔に吹きぬれど、うぐいすのいづこに見れるや声を聞きたし、枝に埋まる桜六分かな、なんて柄にもなく妙に神妙になっちゃったんだけど、気が付けば目鼻はずるずるに水っぽくて、我に帰れば寒くて寒くて何が寒いかって、今の僕には梅の花が何だかとってもきれいに写って見えて、なんておセンチにもそれに嘆息してしまい、内に切ない思いさえ宿ってはくるし、あとは憂鬱にさえなってしまう。

 それで、僕は僕のおねぇたまの鶴川さんに今の気持ちを伝えんがために、そして、彼女には決して怠ってはならない、なんてそれは冗談だけど、僕は現金にもご機嫌伺いのためにもお手まみを書くことにしました。

 鶴川さんは僕らのサークルの活動で木曜日のチーフを担当しているおねぇたまで、実は『キコク』なんですよ。キコク。キコクと言ったら勿論『帰国』。そう、帰国子女なんですよ。だぁ〜から、とてつもない大ボケかましてくれるし、鶴川さんはとってもネアカな人で、もしかしたら本当にはそうじゃないようにも感じさせるような仕草をしたり、それが言動に現れたりもするんだけれど、それがまた、おねぇたまぁ、と甘えたくなる魅力でもあったりして。僕は木曜日には出なくてもいい授業ばかりの曜日なんだけれども、その日には必ず学校に行くことにしていた。

 それでも、彼女は彼女で別に人一倍面倒味がいい、だとか、何だかとっても優しい、だとか、そういう訳じゃあないんだけれど、もともとの性質からして単に何にも考えてない人に思われることが度々あった。

 でも、そうでありながらとっても面白くて、特に天然ギャグがおかしいのおかしくないのって、これがまた。とは言っても、実のところ、みんなで笑い話しをしているような時なんかには彼女はただただ笑っているのみばかりのまんまで、たまに笑いが途切れると、「あぁ、お肌にしわができちゃうぅ〜しわしわ。あぁ〜ん、もうぉ」

などと自己中心的に言葉とは形容しがたい音を発したかと思えば、うって変わって、

「エヘヘッ」

などとキャッキャした笑い声を揚げて、だったら彼女はその笑いに全く貢献していないかと言えば、実際、鶴川さんがいる時といない時では盛り上がりが全然違うんで、僕らは彼女を欲するし、そしてまた、だからこそ鶴川さんはとっても、かわいいかわいい、おねぇたまぁ、なんであって、ねぇねぇ、と、よけいに彼女の回りをうろうろしていたくなってしまう、側に寄りつきたくなっちゃうような存在で、僕は木曜日はサークル活動には間に合うように学校に行ったりしていた。だってだってその日の活動とその後にどっかでおしゃべりをする時間は、ごまかしなしで笑えるひと時、で、僕は木曜日をとっても大切にしていた。

 つまり、僕にとって、倉田さんはお守りで、鶴川さんはおねぇたまだった訳で、二人は全く異質ではあるけれども、強烈な個性を持った先輩達で、僕は倉田さんのことを『師匠』などとお呼びしたりすることがあった。倉田さんは僕がそうお呼びしたりすると、何だか肩から力が抜けてしまったかのようにガクンと身を崩してしまって、それから、そうとは呼ばないで、とでも言わんばかりにガッカリとしちゃったみたいにそういう風にも見える時もあった。そんな時には、ねぇ、もうぉ、といった具合に嫌そうな顔付きさえもするし、時には、

「倉田さん、って呼んで。それか、佳奈、って呼び付けにしてもいいわよ」

なんて大きな瞳にチカッと火花をチラつかせたりもするかのように、それでいて吸い込まれてしまいそうな大人の香りを感じさせ、それから、それを言い終えると両の手を椅子にあてて腰を浮かしながらも、座り直すついでに上体を僕に近寄らせて、それが一連の動作になっていて、真向かいの僕に妙なことに妙に悲しいようなあったかいような目を潤ませることがあった。それがあまりに刺激的で色っぽくて、僕は正直なところ亀の頭がほでってきて、胸がしめつけられるような、キュン、とした思いに切なさで体内がじんわりしてしまうのである。それでそれとは気付かれぬようにと僕がただ黙っていると、倉田さんは、「つまんない?」

とまた一段と悲しそうな目をして、そんな時のそんな表情とちょっとねじった躯が僕の欲情を爆発させるようでたまらなくて。

 それに対して、鶴川さんは何と呼んでも適当にその場はその場でその都度に楽しさ一杯だったりして、それでもたまに「おねぇたまぁ」と心の中で『おねぇたまぁ』とひそかに彼女に対して思っていることがそのまんま口から出て来てしまったりすると、場合によっては、そんなことには無頓着な鶴川さんでもちょっと嫌そうかなぁなんて思える時がある。でも、鶴川さんは笑ってる、そんな時でも。もしかしたら顔だけがそうしてるのかもしれないけど。

 ところで、この二人が僕達一年生をよく遊びに連れてってくれる訳で、最初は僕が倉田さん倉田さんと僕の方が勝手に倉田さんを頼りにしていた訳なんだけど、でも、倉田さんの方でも僕のことを、何だかこんなこと言うと恥ずかしいけど、それでも言いたくて言いたくてしょうがなくって言ってしまいたいんだけど、お気に入りにしてくれていたみたいで、嬉しい! それでみんなで飲みに行くことになったのが去年の七月のことで、どうしてぇ? なんでぇ? もっと早くにぃ、とは思うんだけど、何故って、倉田さんはめったに学校に来ない人だから。あっ、でも、たまに倉田さんとばったり出会す時なんかには僕が駄々をこねたりすると、僕には、

「だから、電話して、って言ってるでしょ」

って、何だか僕は叱られてしまっているようになってしまって。

 実際、僕と倉田さんの間では入学早々から今度一緒にってことにはなってたんだけど、倉田さんは学校には来ないし、僕の方はと言えば、その当時は電話をするのが、特に『女の人』にということになると大の苦手で、それで、結局、前期も終わる頃になってということになってしまったのだった。でも、その日の盛り上がりと言ったら、と、それを言う前に、その日は新宿で待ち合わせをすることになってたんだけど、田舎者の僕はうろうろうろうろしているうちにどんどんどんどん時間ばかりが待ち合わせの時間を置いてけ堀に過ぎ去って行ってしまって、置いてけ堀にされちゃうのは僕じゃないの? なんて不安になっていく一方で、いくらあせったって一向にみんなの姿は見当たらないし、なんだかんだと一時間は遅れてしまったところで、倉田さんが必死な顔して歩き回っているのを、僕を探してくれているのを、発見! 発見発見発見できて、それでちょっとはほっとしたところで発見されたのは僕の方だった訳で、

「ああ、よかった見付かった」

と感激して感動していたら、

「君が見付かったんでしょ。本当にどうしちゃったのかと思ったわよ。でも、まぁ、見付かってよかったわ」

なんて安堵されちゃって、倉田さんに。それが僕には嬉しくて、みんなが文句の一つも言いたげなのをよそに僕は心地よかった。

 で、それは、まぁ、いいとしてぇ、なんて全然よくないんだけど、それは、まぁ、置いといてぇ、

「みんな、どこにいたの?」

「馬っ鹿野郎ぉ、ふざけんじゃねぇよぅ」

なんてあきれてものも言えないといった案配で苦笑いされちゃったんだけど、でも、みんないい奴だよなぁ、なんて思えた。だって怒らずに苦笑いしてくれたんだもん。

 それで一時間ばかり遅れて始まった僕らの集まりはまずは僕なんかは初めて来るようなおしゃれなお店だった、馬鹿話しばかりしてたけど。でも、それが楽しくて。

 それから、このお店では今にして思えば随分と大変なことをしでかしてしまったことになる。

 席に着いてメニューを見てもどんなお酒のことなのか全く見当の付かなかった僕は、

「どれにする?」

と聞かれて、正直に、

「僕、お酒のことはよく分かりません」

と答えたら、

「お酒は何が好きなの?」

と尋ねられてしまい、返答に窮していた僕に、

「いつもどんなの飲んでるの?」

なんて問われてしまったもんだから、それでそのまま答えられずにいると、

「お酒、強いの? それとも弱いの?」

なんて聞かれてしまい、それでも何とも言えなくて、

「普段、お酒、よく飲むの?」

と、どこまでいっても本人にそのつもりがなくても尋問のように繰り返されてしまうような展開になってしまい、まさか、お酒はあんまり飲めないんです、とも言えずにぐずっていても、お酒はかなりいける口にいつも思われがちな僕が口ごもってたりすると、倉田さんはそれとなく察してくれたようで、口あたりのよい白ワインを頼んでくれた。それがまた僕にだっておいしく飲めるもんだからって、それをみんなで飲み干してしまった後に、「さぁ、次は何にしようか? どんなのがいい?」

なんて倉田さんが僕に向いて尋ねてくれるもんだから、僕は調子に乗った訳でもなかったんだけど、事もあろうに、

「これ、もう一本みんなで飲みませんか? 僕はこれが飲みたいです」

なんて戯言をマジな顔して言ってしまい、その時の僕がみんなの唖然とした顔と、そんなこと、普通はあんまりしないわよねぇ、というような白けたムードにそれとは気付くこともなく、ただ今にして思えばみんなの様子からして、なぁんか変だなぁ、とは思ったんだけど。

 それに、僕は、最初にワインが持って来られ、みんなのワイングラスに一通り注がれて、さぁ、乾杯、カンパァ〜イ! という時になって、まるでビールでのそれをする時みたいにぶつけるようにして、ガチャンガチャンとやったもんだから、倉田さんはため息をついてしまっているようだったし、鶴川さんはと言えば、唖然として、それから、顔を湿らせているかのように縮こまってしまっているようにも見受けられた。僕は訳も分からずのっけから一人でただはしゃいでるだけで、つまるところ、浮いていたのかもしれない。それでも、だんだんとみんなもガヤガヤと言い出してきて、僕のペースにへと巻き込まれていったのかもしれない。それで楽しいひと時が少なくとも僕には過ごせられたし、でも、それじゃあ何だか僕だけが一人でぶち壊しにしてしまっているばかりになっちゃってるのかもしれないけれど、みんなもそのうちに馬鹿をやり始めて、みんなで面白おかしくその時間を楽しむことができたように思われる。そんな僕がみんなからすれば、変わった奴だ、というように写ったのかもしれない。それは僕にすれば、認めてもらえた、と受けとめられることだった。僕にはそういう見なし方をするところがあった。そして、変わってる、って自分が思われることが僕には嬉しいことに、回りから僕の存在意義が確かなものにしてもらえたように感じられるんだった。だからといって、僕はわざと、変わってる、ようなことをしているつもりは毛頭ない訳で、そんな白々しいことは僕にはできない。僕はいつも僕でいたいだけなんだ。でも、こんな僕は他人からすれば好き嫌いが激しいものとなってしまうのかもしれない。けれども、僕だって少しずつ少しずつではあるけれど、自分をだすのは本当に気心が知れた者同志の集まりにだけするようになり、僕だって徐々に徐々にではあるけれど、大人にへとなっていくんだから、自分をだす時と、ただ温和に温厚に穏やかにしているだけの時にへと自然のうちに分けるようになっていった。その頃の僕は、誰からも好かれたい、というよりも、誰からも嫌われたくない、という気持ちがとりわけ強い自分だったから。勿論、そんなにうまく穏やかにしていられるようになったのはもっともっと後々のことだったけど。



「ところで、今日は畠山が来れなくなっちゃったんですよ。何だか実家に帰らなきゃいけないとかで。本当は、今日の『倉田さんを囲む会』を一番楽しみにしていたのは畠山だったんですよ」

と僕が畠山を気使ってそう言うと、倉田さんは大きくまぶたを閉じて目線をななめにはずしてから一呼吸置き、その一瞬、嘆息しているかのような表情がにじむんだけど、それから、幅広いまぶたのカーテンをゆっくりと上げながらに視線を合わせ、それは倉田さんのよくする仕草で、頭の中を整理している時間に使っているようでもあり、単に間をとっているだけにも、また、自分を落ち着かせるためにか、動揺の色を隠すためにか、何でもないようにと、平静を保っているかの装いにでもしているようにも感じられるんだけれど、「そうなんだぁ」

と笑顔を浮かべて見せた。それがどことなく悲しげに見えるのは気のせいなんだろうか?僕には倉田さんのその一連の動きがいつも何かを暗示しているようにとしか思われてならなかった。でも、それがよく現れる仕草だと、そして、それが何かの感情がうごめいてのことだと、それとなく知るようになったのはまだまだ先の話しなんだけど。

 それでも、その時の僕にでもただ何となくではあるけれど、何かしらただならぬものを感じたのは確かだった。

 で、話しを元に戻すと、こんな集まりは初めてのことだったんで、最初のうちはみんながそれとなくそれとなくとしながらも、もっと突っ込んだ話しに持って行けるような突破口を、そんなきっかけを待っているような感じだったんだけど、話しがはずんできたところで、僕は思い切って、

「倉田さんは、どの位、男を知ってるんですか?」

とぶちまけた。普通だったらこんなこと聞けないけど、それに、勿論、今の僕だったなら、やっぱりここまでは聞けないだろうし言えないし。それでも聞きたいことではあるんだけれども。でも、やっぱり恥ずかしくて聞けないだろうし。でも、なんて言ったらいいんだろうかなぁ…。あっ、だから、要するにこの頃の僕は、都会的で綺麗な女の人は色っぽくて素敵で華麗にしていて、なんて思いがあったから、まぁ、それは今でも少なからず思っていることではあるんだけれど。でも、その当時の僕はそういう思い込みの固定観念で、ウオぅー、ってうなされる位に悶々としていたもんだから、恥ずかしい話し。まぁ、ただの田舎もんなだけだったんだけど。だから、そういう女の人達は何人もの男の人達とたくさんたくさんセンセーショナルにお付き合いをしていて、そんな毎日をあふれんばかりに大学生活を過ごしていて、たくさんの恋を何度も何度もドラマティックに重ねているんだろうなぁ、なんて、それから、俺も俺も、なんて、畜生ぉ〜、って具合に、あぁいいなぁ、なんてところだったから、それで、悔しいぃ〜けぇれどぉ、いい男はいい女を一杯連れて、とっかえひっかえにしてるんだろうなぁ、というような、田舎丸だしのすけべぇ根性、とでもいおうか、そんな風に見ていたふしがあって、頭っからそう思い込んでやまなくて、そんな、あぁ〜ん、羨ましいぃ〜、というような考え方に全く疑いを持つ余念もなくて、レベルには違いがあっても人それぞれにはそれぞれなりに悩みがあるもんだ、なんていうことは知りもしないことだった訳だし、それが当たり前で、当たり前とすら当たり前過ぎて思ってもみないことだった訳でぇ。

 それで、その当時の僕は倉田さんのことを姉ごはだの人だと思っていたこともあり、僕と倉田さんの間柄だったらこんな会話も許されるかと思って、ほんとに恥ずかしい話しで、それ程大胆なことをしているつもりもなく、とっても大胆だよ、うん。今にして思えば。でも、僕はこんな大それたことを『お伺い』してしまったのだった。そしたら、倉田さんはあっさりと答えてくれたのでした。

「大学に入ってからは三人かな」

と。それで僕は、それじゃあそれ以前にはどの位なの? って聞きたくもなったんだけど、鶴川さんが「えっ!」って驚いたもんだから、僕だって驚いた。倉田さん程のひとだったら、ちゃんと付き合った男の数ならそんなもんでも信じられるけど、ただ関係しただけの男だったら優に十人二十人位は軽いっかなぁ、なんて思ってたから、って、これも失礼な話しなんだけれども、この頃の僕は、だから、

「付き合った男の数じゃないですよ。経験した男の数ですよ」

と食い入ってしまったのだった。それなのに、倉田さんは、あぁ、そういうことねぇ、という具合に軽く、それから、平然と、

「それだったら二人」

とつぶやくように口にした。僕は、

「えぇー! 嘘ですよねぇ。倉田さん程のひとがまさかたった二人だけってことはないでしょう」

と今度は驚きをそのまま口に出してしまったんだけれど、

「どういうこと?」

って倉田さんは怪訝そうな顔付きをして、そして、今度は、間が抜けたかのように不思議そうにしていた。

「どういうことって、どう考えたって、倉田さんなら十人位は楽にクリアしてそうに思えますよ」

と僕が思った通りを言ってしまうと、倉田さんはまだ訳が分かんないという感じで、

「好きになった人が十人ってこと?」

って聞き返してきた。僕はもうこうなったら全部言っちゃえーとばかりに、

「そうじゃなくて、倉田さんが体の関係を持った人の数を聞いてるんですよ」

と語気を強めてしまった。すると、倉田さんはビックリしてしまって、

「あたし、そんな風に見える?」

とあっけにとられていた。

「だって男なんかゴロゴロしていて、いつでも捕まえられるように思ってましたよ」

「あたし、ほんとにそんな風に見える?」

「はい」

「それって、あたしが軽い女で誰とでもすぐ寝るような女に見えるってこと?」

「いや、そうじゃなくてぇ! 倉田さんなら色々と経験豊富に見えるってことですよ」

「それって、あたしが凄く遊んでいるように見えるってこと?」

「いや、そうじゃなくてぇ!

とそこまで話しが行くと、倉田さんは真顔になってぽつりと、

「あたし、一途よ」

と。

「そうなんですかぁ?」

「そうよ。そうは見えない?」

「いや、そういう訳じゃあないんですけど、もっと華やかに、男なんかはよりどり緑で、華麗に大学生活を過ごしている、ってな感じがするんですけど」

「あたし、そう見える?」

「うん、でも、確かに倉田さんには影が見えますけどね。何かいいことなかったみたいな、そんな辛い毎日を過ごしていた、なんて時もあったのかなぁとも思えますけどね」

と僕がそれを言うと、倉田さんはドキッとした面にあせりみたいなものを感じさせ、まなこを見開き、それから、鶴川さんと顔を見合わせ、また僕の方にふり返り、恐る恐るに何か隠し事でもあるかのようにそれがばれないようにと、或は、もうばれているのかとそうっとそれを探るようにして怖々と口を開いた。

「誰かに何か聞いた?」

「いいえ」

「じゃあ、どうしてそんな風に思うの?」

「別にただなんとなくそう思えるからですけど」

「ほんとにそう?」

「はい」

「どうしてそんなこと分かるの?」

「ってことはほんとにそんなようなことがあったんですか?」

「じゃあ、何も聞いてないのね?」

「何もって何かあったんですか?」

 そこでまた倉田さんと鶴川さんは向き合った。それから、倉田さんは僕に尋問するかのように聞き込んできた。

「ほんとに何も聞いてない?」

「はい」

「じゃあ、どうしてそんな風に思うの?」

「あのぅ、初めて倉田さんに会った時、っていうか、僕が倉田さんに同じ学科だということでサークルの説明をしてもらった時がありましたよねぇ」

「あぁ、うんうん」

「その時、少しお話し、しましたよねぇ」

「うんうん」

「その時にそんな感じのする印象はあったんですけど」

「…ほんとにそれだけ?」

「はい」

 そこで、倉田さんはななめにうつむき加減にうなずきながら、ふぅ〜ん、と漏らした。そして、

「あたしは大学に入ってから付き合ったのは二人」

と改めて念を押すように、それでいてつぶやくように口にした。僕は、

「ほんとにそうなんですか?」

と、だってそれでも何となく信じられなかったから。すると、倉田さんは多少上目使いに、「そう」

とだけ言った。それを聞いて僕は倉田さんに抱いていた印象が随分と変わった。変わらなかったのは、倉田さんには影があるということだった。それと、その頃の僕は倉田さんと留学してしまった人とのことも原田さんとのことも倉田さんのその当時のこともほんとに何も知らなかったから、それで僕はまだ残っている疑問を尋ねた。

「付き合ったのは二人で、ということはあとの一人はどういうことなんですか?」

「付き合ったのは二人。好きになったのは三人」

「じゃあ、その一人とは付き合えなかったんですか? 肉体関係までは行ったんですか?それともそこまでも行かなかったんですか?」

 そこで、倉田さんは黙ってしまった。それから、僕に視線を送りそのまま潤んだ瞳で僕を見つめていた。倉田さんが多少ふし目がちになるとソバージュの髪が頬に被さり、一瞬、僕は吸い込まれそうになった。それでも、僕はそこに倉田さんの影を見た。そして、その状態から僕には何だか変、というか、漠然とではあっても不思議に思えてならないものを感じた。



 ところで、この席で僕が一番びっくりしてしまったのは倉田さんが向きになったということだった。

 どんなことで倉田さんがそんな風に興奮するようなことになってしまったのかと言えば、大学に入学して今のサークルに入ってから、話しは合うし気も合うし馬が合う、っていうんだろうか? とにかく、一番仲よくなったのが同じ一年の秦野で、こいつは確かにチビでデブってて、それを隠すのにオーバーブラウスにシャツを着ていて、それでどうやってチビが隠せるんだよう、って言われても、だからお腹のでっぱり具合をそれで隠している訳で、ってそんな説明はしなくたって分かってもらえるかとは思うんだけど、まぁ、当たり前だよねぇ。で、デブのことなんだけど、じゃなくてぇ、チビをどうやって隠すのか、っていうことなんだけど、でもなくてぇ、それは無理なことだから、ってそんなこと言ったらいけないんだぁ、って、それはそうだけどぉ、そうじゃなくて、その秦野がこのサークルで同じ一年の小森と知り合ってからまだ間もないというのに、って言っても、普通、サークルに入ってからすぐの時が一番花が咲き乱れる時期なんだろうけど。それにサークルの活性化もこの時分にできないとサークルっていうのは沈滞しちゃって次の年が来るまでそのまんま停滞してしまうことになっちゃうもんなんだろうけどぅ、まっ、それは、僕が後々知ることになったことだけど。だから、大所帯の体育会とか部なんてところは別にして、勿論、そういうところは年がら年中気合が入っているけど、新入生の勧誘なんてのは普通のサークルなんかが見習わなければならない程に力を入れてるし、またそれだからこそ、いつでも年がら年中盛り上がっていられるんだろうけどぅ、あっ、でも、実際、内々では色々とあるらしいけど、なんて何だか随分と話しがそれちゃった。で、季節もちょうど、春、ということで、男も女もフレッシュマンも先輩達も浮き浮きする、アターック、チャ〜ンスの新歓期間中からその後の二〜三週間のうちに映画に誘ったのが始まりで、って秦野が小森を、ってことなんだけど、それが小森の誕生日だからということで、それを知った秦野が、

「じゃあ、一緒に映画でも見に行くか」

なんて、どんな顔してそんなセリフ吐いたかは知らないけれど、そんなところから始まったらしい。

 小森は、一言で言えば、まぁ、真面目な女の子だった。

 ふっくらとして、色白で餅肌のようだった。しゃべる時でも何らかの動作にしても何だかぐずぐずしているようで、ちょっと(かわい子)ぶってるのかなぁ、なんて思えたりする時もあるんだけど、まぁ、それが地なんだろうなぁ。でも、それでいてつぼにはまると、突然、大声で、アッハッハアッハッハアッハッハ…ってほんとに嬉しそうに笑いだすことがあった。一人でいつまでも受けてるようなことがしばしばあったかと思う。そんな時は、自分が他人にどう写っているのか、なんてことは考えてもみないことだったに違いない。何故って、そんな時の小森は、なんてそんなこと言ったらかわいそうだから言わない方がいいかもしれない。知らぬが仏、言わずもがな言わずもがな。

 そんな小森だったが、たった一遍デートをしただけで、秦野くん秦野くん、なんてことになってしまったのだった。まぁ、時期も時期だったし、大学に入ったら、なんていう期待が強過ぎたのかもしれない。受験勉強にしてもそれとは関係のない科目にしても、ちゃんとしっかり勉強してたんだろうなぁ、なんて思わせるような娘だったから、大学に入ったら、というような期するところは人一倍強かったのかもしれない。

 でも、秦野の方は「別にただ一度映画見に行っただけだよ、ハッハッハ」なんてところだったから、で、僕が「お前、それはないんじゃないの。ああいう娘は悲しませたらいけないよ」なんて具合に愛のキューピット的役割をつとめるようになって、その後、小森には随分と感謝されて僕も色々と助けてもらうようなことがあった。で、結局、二人はお付き合いをすることになったんだけど、彼氏彼女、いいねぇ、ほんと羨ましいよ。でも、秦野の方は初めからそんなこんなだったから、あまり仲のいいっていう感じではなかった。それに小森は小森であんな娘だったから、秦野の方は「息苦しいなぁ」、小森の方は「ねぇねぇ」なんてことで、よくよく考えてみれば、もともとくっつかない方が、まぁ、もしかしたらなんだけど、よかったのかもしれない。

 それで倉田さんの怒ったっていうことなんだけど、その日もせっかくの集まりだっていうのに小森がぐにょぐにょしていたり、逆に強がって「別にあたしは遊んでもらえなくても…」なんてことを言い出したりするもんだから、

「いぃいぃ、女が遊んでもらえる時なんてのはねぇ、今のうちだけなんだよ。一年や二年のうちだけっ! 特に一年の時が女の子は一番遊んでもらえるんだからね。もう、ババァーになってからじゃあ、男なんて誰も相手にしてくれないよ! いぃいぃ、せいぜい遊んでもらえるうちに遊んでもらって置くんだよ。今はそういう時期なんだから、あとで後悔しないように今のうちに遊んでもらえるうちに遊んでもらえるだけ遊んでもらうんだよ。いぃいぃ、分かったぁ!」

なんて怒鳴りつけたりするもんだから、言ってることの真実味のほんとか嘘かなんてことはすっ跳んじゃって、みんなは倉田さんのど迫力に圧倒されちゃって、僕は、かっこいい、なんて感じちゃった。

 でも、倉田さん程のひとでもたかだか男の一人や二人見付けるのに苦労なんかするのかなぁ? なんて思えちゃった。だって倉田さんだったらきっとさぞかしもてるんだろうし、いろんなとこからお声もかかるんじゃないのかなぁ…

 でも、途中でチラリと何かの拍子でだろうか、僕の方に目を投げかけた倉田さんに深い意味でもあったんだろうか? その時には一瞬ドキリとしてしまっただけだったんだけれど、僕は倉田さんの絶叫に、そして、その美しくさえある必死の形相に酔ひしれてしまっているばかりだった。素敵ぃ!

 小森は何も言えないでいた。言い返せずにいた。そして、それでもどこかしらよく分かんないという風でもあった。それから、べそをかくんじゃないだろうかと思わせるような表情がうなずくことはうなずいてるようでもあった。それは不承不承でもあったんだろうが、倉田さんの言葉には、そして、自分の置かれている身にも、いづれにせよ、何もかにも口に出せないでいるようだった。

 その後、小森は、何時までに家に着いてないといけないから、とか何とか言い出して、先に帰っちゃって、その際に一応秦野は駅にまで送りには行ったんだけど、でも、その日は、倉田さん、鶴川さん、柿沢、秦野、それから僕とでオールナイトだ! なんてことになった。

 ところで、秦野は戻って来てからというもの、これでやっとすっきりした。これで遊べる。これからが本番だ。さぁ、遊ぼう遊ぼう、なんて具合に、それまではぶっきらぼうにしていて、煙草を吸い込んでは吐いて、吐いては吸い込んで、と重苦しそうに顔をしかめていたのに、それにあんまりしゃべらないでいたのに、それからはというと、急に元気がよくなって、それで調子にも乗り出してきて、口も軽くなり出してきた秦野に倉田さんが面白がってだと思うけど、

「ねぇ、秦野君はどんな女の子が趣味なの?」

なんて口火を切ったもんだから、秦野はニタニタ笑いそうなのをこらえるようにしながらも、ちょっとしぶったつもりになって、

「俺はぁ、俺みたいな男でも好きになってくれる女なら自分でも好きになりますよ」

なんて今にも吹き出しそうなもんだから、口の歪みで声色がうわずったりしながらにして、それでいて自分ではしぶく決めたつもりのようだった。すると、それを聞いた倉田さんは目をギラギラとさせて、

「じゃあ、秦野君の場合、女の子の方から言えば彼女にしてくれるの?」

なんて煽るもんだから、

「う〜ん…。まぁ、そういうことになります、ねぇ」

なんて今度は本気で格好をつけていた。そこで、倉田さんは直様、

「なぁ〜んだぁ。それだったらもっと早く言ってくれればよかったのにぃ」

なんてことを言い出して、そしたら、鶴川さんも同調して、

「そうよぉう。言ってくれればいいのにぃ」

なんてことになった。秦野は自信家のところがあって、二人の言葉にご満悦の様相でいた。それと、素振りまでもそれを当然と受けとめるようなそれでいた。そして、それからしばらくの間は時間は秦野のものとなって、僕は少々焼いた餅が焦げていた。それに僕が口をはさもうとすると倉田さんは軽く受け流してはさらに秦野を持ち上げたりするもんだから、僕はますます焦げた餅を焼き続けることになってしまった。悔しい! そんな僕を見ては、「俺とお前じゃ勝負にならねぇ〜んだよ」

なんて秦野は真顔で勝ち誇っていた。僕を見下すようにして。悔しいぃ〜!

 僕の餅はもうこれ以上は焼き様がない位にすっかり焦げ切っていた。僕の気持ちは焦っていた。どうして? どうして! って。

 それなのに倉田さんは、時折、パチパチと大きなまぶたを目つ毛のクッションで弾かせるようにして、大きく瞬きをしながらすました笑い顔を作っては僕に視線を投げかけて、それで僕がもがくようにして何かを言おうとすると、さっと視線を外し、それからまた秦野に話しかけ、なんてことを繰り返していた。

 僕はお預けを食わされて飼い殺しにされているようなもんだった。全くどうしてこんな目に合わされなければならないのぉ? なんて思いを巡らせてみると、今にして思えば、僕が、

「僕は本当は寡黙なんです。本当はしぶいんですよ」

なんて口走ったことが倉田さんの癇に触ったのかもしれない。それを言うと、倉田さんは、「面は割れてんだ。そんなことするんだったら、他でやっくれ」

なんて突き放されちゃって。そんなことが思い当たる。確かにその日はその後から倉田さんの僕に対する態度が明らかに硬化したように思い出せるから。

 秦野の次は柿沢だった。秦野が持ち上げられるだけ持ち上げられた後には、今度は柿沢が話しの中心に持っていかれた。

 でも、その時の僕はいい加減頭にも来ていたんで、僕は僕で鶴川さんに何とかアプローチして仲よくしてみたくなった。実を言えば、この当時はまだ僕と鶴川さんはそれ程昵懇ではなかったから。

 僕と倉田さんが連絡を取って、とりあえず一度企画してみましょう、ということになったんで、僕が秦野と柿沢を誘って、倉田さんの方は鶴川さんを連れて来て、それでその日の集まりになったんだから。



 店を出てから、その日は、オールナイトだ! ってことになってた訳だったけど、さぁ、時間はたっぷりとあるんだし、何をしようか? ってなことになって、僕達一年の間ではボーリングが流行っていたんで、

「ボーリングやりません?」

なんて僕らが尋ねたら、倉田さんは「ボーリングぅ?」なんて顔をしかめてあまり気乗りしていない様子でいたんだけど、僕らが「やりましょうよ。ね、そうしましょう」なんてもうその気になってしまっていて、それに鶴川さんの方は「ボーリング? うん、やろう。やろうよ」「ほんとですか?」「うん、ボーリングでしょう? いいじゃん。やろうやろう」なんてことになって、それで倉田さんも「やるか」ってことになった。倉田さんには飲んだ後に身体を動かすってことが、ちょっと感覚が違うっかなぁ、ってな感じだったんだけど。

 ボーリング場では、倉田さんは僕が感じた印象から描いていたイメージとは違って、倉田さんなら勢いよく次から次へとガンガン投げてみせる、運動神経の発達しているところからくるそれを思ってたんだけど、だって倉田さんはひき締まった体にいい肉付きをしていたから。それなのに弱々しい女の子がそうっと屈むようにしながらボールを置くようにして転がしてみせるそれが倉田さんのフォームだった。その時に僕は、倉田さんって随分と細い腕をしてるんだなぁ、と思った。それは僕がそれまでには気付かずにいたことだった。それに比べて鶴川さんの方はキャッキャキャッキャと跳び跳ねたりして、凄く楽しんでるようだったし、気分も乗ってるようだった。勢い、柿沢も秦野も自然と鶴川さんの方にばかりへと視線が集中するようになって、鶴川さん鶴川さんとおねぇたまはチヤホヤとされていた。

 だから、僕には弱々しく見えた倉田さんが何だか余計に心からは楽しめないでいるように写った。でも、倉田さんは回りに気を使う人だった。僕にはそれがよく分かった、その時になって初めて。僕は柿沢や秦野がおねぇたまを担ぐ分だけは負けないように倉田さんを応援した。

 でも、これで一つ分かったことがあった。倉田さんより鶴川さんの方が男には一般受けするんだなぁ、ってことが。

「倉田さん、今のいい感じじゃないですか」

「そうかなぁ」

「そうですよ」

「でも、あたし、こういうの苦手だから」

「あっ、でも、倉田さんならもっと派手にビシバシ決める人かと思ってましたよ」

「どうして?」

「だって倉田さんはそういう風に見えますよ」

「君はあたしのこと、どういう風に思ってたの?」

「いやぁ、凄い人かと」

「それって、どういうこと?」

「ハッハッハッ」

「もぉう!」

と倉田さんはまゆも首も体もくねらせていた。両の大きなまぶたはぐんにゃりとねじられていた。そして、そこからのぞいて見える眼は怒っていた。それが僕にはとってもかわいらしく見えておかしかった。そこで、鶴川さんが面白がって一言口をはさんだ。

「そうだよねぇ。佳奈だったら

「そうそう。もっとガーンと

「そうそう。もっと力強くっていうか

「そうそう。そうですよね」

 そこで、倉田さんは我慢がならなかったのかもしれない。

「そうやってあたしを何だと思ってるの」

「いや、別に

「ンフンフ。佳奈ってイメージとは本当はだいぶ違うんだよ」

「えっ! じゃあ、倉田さんってか弱い女なんですか?」

「それは違う。それは栗山君のイメージ通りでいいの」

「あっ、やっぱりそうなんですかぁ」

「そうそう。キァッハッハッ」

「あのねぇ!」

と倉田さんは体を揺さぶるようにしながら気負い込んではいたものの、『もぉう〜!』といった感じで何か言いた気なのをよそに、旨い具合に巧く返す言葉が見付からなかったのか、口からは何も出せないでいた。そんな時の自分の思い通りにはいかない時の倉田さんのじれったそうな気持ちが通じてくるその動きには欲求が不満足となって、自らの体内に熱を帯びているようで、あたしだってあたしだって、だとか、あたしはあたしは、なんていう倉田さんの中にいる子供のそれの、手をさし伸べてあげたくなるそれの、包み込んであげたくなるそれの、頭を撫でてあげたくもなるようなそれを目を細めながらにして大事にしてあげたくなるそれと、その揺さぶりの躍動からのそれで振動する肢体の大人の女の色の気を直にして目の当たりにさせられるかのそれとの同居のごときだった。

 それは、ゆったりとした気分で眺めてあげている自分がそれなのに、一旦、衝動に駆られてしまっては吸い付いてしまいたくなるそれだった。



 ボーリングを終えて、僕らは、さぁ、次は何にしようかぁ、とまたまた迷ってしまった訳なんだけど、それは決して、あぁ、やることもないし退屈でつまんないや、なんていうことではなかった。もう、ムードは出来上がっていたし、別に何をするにしてもこのメンバーなら面白いから別に何してもいいんじゃないの、なんていう雰囲気だったかと思う。 だから、何をするのか迷っているっていうんじゃなくて、今こそ真に余韻に浸っているという方が当たっていたのかもしれない。



 ボーリング場を出る間際、僕と倉田さんとでコンビを組んでちょっとした確かバスケットか何かのゲームだったかと思うんだけど、それを勝った方に百円ねとかせこいことを言いながらに、鶴川さん、柿沢、秦野のトリオと対決したら、僕と倉田さんのチームが圧勝して、

「いやぁ、僕と倉田さんが組んだら最強ですよ」

なんて僕が満面に笑みを浮かべながら倉田さんに向くと、

「そうかなぁ」

なんて口にしながら倉田さんも顔をくしゃくしゃにしていた。それで僕が調子に乗って、百円百円とせびっていたら、いぃーの、なんて倉田さんに叱られてしまった。

 で、僕と倉田さんは歩を止めて横に並んだまま顔だけ向き合って大笑いした。手を鳴らしたりしながら、うなずき合ったりしながら、身体をくねらせたりしながら、屈むようにしたりしながら。

 それから歩き始めた。



「もしもし、あっ、お母さん。あのね、今日うちに帰らなくてもいぃい? えっ? そうじゃなくて、今日はみんなでずっと遊ぼうってことになって。えっ? うんうん、うん。あっ、そうじゃなくて、えっ? うん。それは勿論そう。うん。じゃあ、そういうことだから。えっ? うん。うん、それは分かってる。うん。じゃあそういうことだから。うん、お休みなさい。えっ? うん。それは分かってる。うん。じゃあ帰らなくてもいぃい? うん。心配しなくていいからね。うん。うんうん。はぁい」

なんて倉田さんは家に連絡していた。僕には倉田さんがオールナイトで遊ぶのをわざわざ家の人に報告して許可を取るなんてことは及びもつかないことだった。だって、倉田さんならオールナイトなんてことはざらで、いつもの毎度々々のことなんじゃないのかなぁ、なんて思ってたから。ましてや、それが普通の女の子がそうするような口調でしているということが演技でもしてるんじゃないのかなぁなんて疑いたくもなるようなところだった。 でも、この頃の倉田さんは本当に家で大人しく過ごしていたのが実情のところだったらしい。それから倉田さんは後に述懐していたと聞いている、「あたしって格好がこんなんだから、よく誤解されるんだけどね」なんてね。



















  その三、心に決めたこと



 僕は何故かしら恥ずかしくなってしまい、壁に寄りかかるようにして奥の席に着いた鶴川さんとは幾分か合間をとって腰を落ち着けた。腰を下ろすだけのことなのにその状況の下で僕は強張ってしまっていた。そして、ポッと顔を赤らめてしまうような緊張感が僕の動作をぎこちないものにしていた。だから、僕は下を向いてかしこまっていた。

 それを目にして倉田さんはいちゃもんをつけるかのように、

「もっとつめればいいのに」

と。倉田さんはぶ然とした表情で鶴川さんと僕とに交互に指差しながらにこぼしていた。その言葉の勢いが耳から入り込んで来たもんだから、僕は面目もなくとりあえず、一旦、首をもたげて向かい側に座っている倉田さんに目をやった。痛いところを突かれて余計に赤らんでしまっていた僕はすぐにまた首を降ろしてしまい、どうして隣になるということだけでこんな気持ちになっちゃうんだろうか、と鶴川さんに感じてしまっていた。

「つめればいいのに」

 そんな僕を突っつくように倉田さんは顔を上向きにした、沸々とわき上がる感情のうごめきを秘めたすまし顔で、そんな時の倉田さんのそれは、それを圧し隠しているつもりのようでもあり、また、あからさまにわざとそれを表面にあらわにさせているようにも感じられるんだけど、追い討ちをかけるようにしてきた。鶴川さんはさすがに心得ているひとで、こんな時、恐らく分かってはいても敢えて知らぬ存ぜぬ知りませぬといった風情で、だんまりを決め込んでいる。しばらくの沈黙のうちに僕はこらえ切れずに、

「別にいいですよ」

と漏らしてしまった。倉田さんはまだ某かのことを言いたげなのを、ここはひとまず、といった具合にもう少しのところで吐き出してしまいそうなところを、とどめて置くか、という顔付きににじみ出ていたうごめきがさっとひいて行った。そして、その後は大人気ないところをあと一歩というところでさらしてしまいそうな自分に我慢ができてホッとしている様子でいた。そして、さっきまでとんがっていた肩の力が抜けてゆったりと落ち着かせていた。でも、よく考えてみれば、これでマイナス材料が出なかったのは鶴川さんだけだったことになる。

 それから、一言二言、二言三言、回りから声が発せられて、やがて程よい会話が談笑となっていき、そして、また、大笑いの大爆笑へと場は盛り上がっていった。

 ところが、ふとしたことで鶴川さんは得意のキャッキャした笑いを止めて、

「ちょっと、いい?」

って僕に投げかけて、それから、あらっ、ごめんなさいね、とか何とかやらとゴソゴソと前が狭いもんだから、そんなことを口にしながら僕のひざのところを横切って行った。

 用足しに行ったようだった。

 そして、戻って来ると僕の脇に立ったまんまで、僕はどうしたんだろうかと思いながらも彼女を見たり見なかったりを繰り返したりしていたんだけれども、それでも、鶴川さんはそのままなんで、あっ、そうか、と僕は僕なりに気を使ったつもりで、

「つめますつめます」

とあわてて言いながら奥にお尻をズルズルと寄せて、それでも彼女はそのままなんで僕は壁に肩がもたれる位にまでお尻をヨッコイショヨッコイショと運ばせた。

 すると、彼女はワンテンポ遅らせてから僕との間にまだ少しばかりの合間のあるところにわざとらしくペタッとお尻を乗せた。それから、お尻をクニョクニョさせながらにポジションを確かなものにしているみたいにしていた。両の手はテーブルをその平でかわいがるようにしていて、そんな仕草の一つ一つが気をとられるもので、それから、鶴川さんはニコニコしていた。

 それを見て倉田さんは顔色を変えた。大きなその目で鶴川さんに鋭い視線を浴びせかけていた。明らかにその態度に気分を害しているようだった。

 そこで、本当はいけないことなんだろうけどぅ、よぉーし、僕だってぇ、という案配に僕の中の小悪魔が踊り出した。さっきの仕返しじゃあないけれど、あっ、でも、やっぱりそういうことだよね、いけないいけない。とは言っても僕の中の小悪魔も中々出番が回ってこなかったもんだからと一悶着暴れ出したかったに違いなかったと思う。それで僕は鶴川さんといちゃつきたくなってしまった。

「ねぇ、鶴川さん」

「なぁにぃ」

「鶴川さんが年下だったらよかったのに」

「どぉうしてぇ?」

「だってやっぱり年上だったら色々と気を使わなくっちゃならないじゃないですかぁ」

「そんなこと気にしなくてもいいのにぃ」

「そんなこと言われても、やっぱり、そういう訳にはいかないですよぉ」

「気にしなくてもいいのにぃ」

 そこで僕は体を縮ませて笑顔を浮かべて鶴川さんを見つめた。すると、鶴川さんの方も僕に真向かいになって同じようにした。それで僕はもっと縮こまってもっと笑顔にした。すると、またまた鶴川さんの方でも縮こまってかわいい顔をした。そんな動作を代わり番こでかしているうちにどんどんどんどん順番が回ってくるのが早くなり、もうこれ以上は小さくなれない位になった。鶴川さんはとってもとてもかわいくなった。で、僕は、

「鶴川さんが年下だったら、

と口にしながら人差し指をとんがらせて彼女のまぁるいおでこの真ん中を小突いてみせた。そしたら、鶴川さんは目をつむって仰向けにのけぞるようにして躯は逆に僕の方に寄りかかってくるみたいにして近寄らせた。そこで僕は言葉を続けた。

こんなこともできたのにぃ」

と。鶴川さんは吐息を漏らしてそれを小さく発してうっとりとした顔をした。しばらくはそのままの表情でいた。それから、上下の目つ毛をさすり合わせるようにしながらゆっくりとまぶたを開けた。僕に眼差しを送った。それで僕は彼女を間近に感じた。実際、鶴川さんは僕の目の前にまで迫ってきていた。それを眼前にして僕は思わず小さな笑みをこぼしてしまった。

 ところが、僕の「鶴川さんが年下だったら、こんなこともできたのにぃ」というフレイズに倉田さんは、

「今やってんじゃん」

とまた指差した。僕は笑い声を上げて、

「あっ、今の、やったうちに入るんですか?」

とおとぼけた。

「今やったじゃん」

「そうですかぁ?」

「今やったでしょ」

「えぇー、今のはやったうちに入りませんよ」

「どうして」

「だって、今のは、もしも、仮に、鶴川さんが、年下だったら、という仮定で、その例を示しただけじゃないですか」

「だから、示したんでしょ」

「だから、やったうちには入りませんよ」

「どうして」

「どうしてって、ねぇ、鶴川さん。今のはやったうちに入りませんよねぇ」

「うん、やったうちに入らない」

「だから、鶴川さんが年下だったらいいのにぃ」

「どぉうしてぇ?」

「だって鶴川さんが年下だったら、こんなこと、できたのにぃ」

「どぉうして年下じゃなきゃできないのぉ?」

「だってやっぱり年上じゃあ駄目ですよ」

「どぅしてぇ?」

「だってやっぱりそんなことしたらいけないじゃないですか」

「どぅしてぇ?」

「だってやっぱりそんなことできませんよ」

「どぉうしてぇー」

「だってやっぱり気を使ったりしちゃうじゃないですか」

「気なんか使わなくてもいいのにぃ」

「でも、やっぱりそういう訳にはいきませんよ」

「どうしてぇ?」

「だってやっぱり年上のひとにそんなことしたら失礼じゃないですか。それに遠慮だってしちゃいますよ」

「遠慮なんかしなくたっていいのにぃ」

「そんなこと言ったって

「遠慮なんかしなくてもいいのにぃ」

「そんなぁ」

「遠慮なんかしなくてもいいのにぃ」

「…ほんとに遠慮しなくてもいいんですか?」

「だから、遠慮しなくてもいいって言ってるでしょ」

「ほんとですか?」

「うん。別に年上だからって遠慮なんかする必要ない」

「そんなこと言ったらほんとに遠慮しませんよ」

「うん。遠慮しないで」

 僕はのぼせてしまう位に気分がよくなってしまった。鶴川さんはほんとにかわいいかわいいおねぇたまぁ。素敵なおねぇたまぁ。それにエッチなおねぇたまぁ。だって口許に魅惑的なほくろがエッチなんだから。それに遠慮しなくていいってどういうことで遠慮しなくていいってこと? って考えたら…。ねっ、やっぱりエッチでしょ、鶴川さんは。ってそれは考え過ぎなんだろうけどぅ。でも、何だか誘われてるようにも感じさせられちゃうでしょ。なんとなく期待したくもなっちゃうでしょ。それが考え過ぎなのかなぁ。でも、そんな風に考えさせられちゃうってことはやっぱり、エッチ、って言っても魅力があるっていう意味でなんだけどぉ。そんな女の人はやっぱり、一般的に『いい女』っていうことなんじゃないのかなぁ、なんてね、思った訳よ。それに鶴川さんは肌がやわらかそうで、頬ずりしたくなっちゃう位に抱きしめたくなるような、逆にかわいがって欲しいなぁって思わせるような、包み込まれたら溶けてしまいそうな。

 ところが、そんなやりとりに我慢がならなかったのか、倉田さんは、

「何すっとぼけてんだよ! こっちは何だって知ってんだ。今さらよくもそんな白々しいことができるもんだ。どういうつもりでそんなことしてんのかこっちには全部お見通しなんだ」

と鼻息を荒くさせていた。それにそれを言い終えてもまだ収まりがつかなかったんだと思う。だって、ゼェゼェと呼吸を苦しそうにしていたから。それで首から肩へのなだらかなラインがうねっていた。伸びたり縮んだり、上下に脈打つようにして。それから、

「ひとの話、聞いてんのかよ。何すっとぼけてんだよ」

と、そこまで言ってしまっている倉田さんに対して、僕にはいくらなんでも怒り過ぎているようにしか聞こえなかった。それに初めのうちは何が何だか訳分かんなくてただびっくりしていただけだったんだけど、そのば声は鶴川さんに集中砲火されていることがようやく飲み込めた僕は鶴川さんに向いた。鶴川さんはただじっとしていた。すると、倉田さんはまだ言葉を続けた。

「そっちはいつもそうなんだ。男がいる時といない時で丸で別人になっちまうんだ。こっちは何だって知ってんだからな。ここで全部言ってやろうか!」

と。そして、僕に言った。

「栗山君、この女には気を付けるんだよ」

 でも、僕にはまだ倉田さんが何を言わんとしているのか判然としなかったもんだから、「えっ、ぁあ、何をですか?」

と、倉田さんにすれば、何を間が抜けているんだ、こいつは。ひとがこんなにまで必死になってやってるのに、なんてところを見せてしまっていた。だって僕には何だか本当に訳分かんなかったから。

「何を、って、だから、この女は

と倉田さんが続けるところをそこで鶴川さんがさえぎった。

「怒るよ」

と。すると、倉田さんはまた声を大にした。

「まだすっとぼけてんのかよ! いぃいぃ、ねぇ、栗山君、この女とあたしとで、どっちを信じる?」

「どっちを信じるって、何をですか?」

「だぁかぁらぁ、この女は

「それ以上言ったらほんとに怒るよ」

「怒ってみろよ」

「佳奈、どうしたの?」

「どぉうしたのじゃねぇよぉ!」

「怒るよ。ほんとに怒るよ」

「怒るよじゃねぇよぉ」

「それ以上言ったらほんとに怒るからね」

 僕は何だかよくは分かんなかったけれど、この状態はあんまりよくはないんじゃないのかなぁと感じて、よくは分かんないけれど、それはとりあえず確かなことだと思ったから、とにかく二人をとりなさなければと思って、

「どうしたんですか? 何をもめてるんですか?」

と割って入った。

「何をってねぇ、この女がひとがいいなんて思える?」

「鶴川さんが悪い人だって言うんですか?」

「そうは思えない?」

「怒った。もうほんとに怒った」

 僕はその時の鶴川さんが怒っているようには見えなかった。だって声色だってかわいいまんまだったし。でも、外見には写らないようでも確かにその細めた目には怒りの火がゴーゴーと燃え上がっているように、表には現われないけれど、内に秘めたものがそこからだけは覗けて見えるようにも感じられた。

 それから、これは僕が後々にも思っていたことだったけど、鶴川さんにはいつも本心が見えないように写っていた。冗談と本気とが丸で区別がつかないままでいた。それを鶴川さんに打ち明けたことがあった。鶴川さんは、

「栗ちゃん、そうやって、また、あたしのこと馬鹿にしてんでしょう」

とか言いながらキャハハキャハハしていたんだけれど、僕が何度も何度も真剣に、

「ほんとです。ほんとなんです。ほんとにそうなんです」

って真顔で見つめたら、鶴川さんは血の気がひいたような顔付きになって、

「それって、ほんとに本気で言ってるの?」

って、その時ばかりは、これはマジで聞いてんだろうなぁ、と思えたことがあった。それで僕は、

「ですから、ほんとに区別がつかないんですよ」

と言葉をつなぐと、

「嘘ぉー。それじゃあ今まであたしが言ってたこと、全部冗談ばっかりだと思ってたの?」と。だから、僕は、

「ですから、冗談とも本気ともどちらとも分かんなかったんですよ」

と正直を言ったつもりだった。

「…今は本気でしゃべってるってことは分かる?」

「ぁあ、はい。それは、はい」

 その時、鶴川さんは悲しそうな目をしていた。それから、目許やまぶたからその回りにかけては萎んでいるように見えた。だから、そのかわいらしい面には水たまりで一杯になっているように、また、何だか湿っているようにも感じられた。それでやわらかそうな鶴川さん全体のぼんやりとした面影が悲しそうに写って見えた。そして、鶴川さんはかわいいかわいいおねぇたまだから、何だか余計に悲しそうに見えた。



「ねぇ、美紀、今年の一年生は豊作だよねぇ」

と倉田さんはその端整な顔立ちをほころばせた。その言葉に鶴川さんは無言のままだったが、倉田さんは続けて鶴川さんの相槌を求めた。

「ねぇ、美紀、今年の一年生が年下じゃなかったら、もうとっくに手ぇ出してたよねぇ」 それでも、鶴川さんは何も答えずにいた。でも、倉田さんがそんなことを言い出したもんだからと、僕らの方は一瞬互いに目を合わせたりして、どう反応していいのか、なんて戸惑ってしまっていたんだけど、嬉しいことには変わりがないので、おぅ、だとか、そうかぁ、そうなんだぁ、だとか、ほんとかよ、なんて具合にざわついてしまっていた。それで僕は、

「今年の一年の男って言ったら、ここにいる柿沢と秦野と今日は来てませんが遠木と僕が一応は定着しているメンバーですが、それで豊作なんですか?」

と倉田さんに尋ねてみた。すると、倉田さんは、

「豊作よう」

と言い切った。

「あぁ、そうですかぁ。まぁ、秦野にしても柿沢にしても遠木にしてもそれなりに、まぁ、それなりに、ということなんでしょうねぇ。そういうことですか?」

「うん、みんないい男じゃん。これだけそろってれば豊作よ」

「そうですかぁ。あっ! そう言えば、倉田さんは新歓コンパで一人ずつ自己紹介をしていく時に

と僕がそこまで言うと、倉田さんは倉田さんの癖にかわいらしく照れ笑いをした。そして、恥ずかしそうに、

「覚えてる?」

と声にした。僕はもう思い出し笑いをこらえながらにしていても我慢できずにそれが面にあふれ出てしまいながらに、

「あぁ、はい、勿論。あれは衝撃的でしたからねぇ」

と、だって公衆の面前であれだけのあんな凄いこと言うなんて、忘れる訳、ある訳ないよ。で、何が衝撃的だったのか? と言えば、その時、新入生歓迎会の席で一人ずつ自己紹介をしていく順番が自分に回って来た時の倉田さんは、

「今、フリーですから、新入生、チァンスです!」

なんて声高にののしったのである。それで大歓声が揚がり、一同大パニック状態になってしまったのだった。

「でも、あの時はショックだったなぁ」

「どうしてですか?」

「だって誰も来てくれなかったんだもん。一人位は、一人はぁ、来てくれるかなぁ、なんて思ってたんだけど」

と倉田さんは僕に目配せした。それで僕は、

「じゃあ、今度そういう機会がありましたら、その時は私が参ります。次にそういうことがありましたら、今度は絶対に倉田さんの顔は潰しません」

と大層に公言したのであります。すると、倉田さんは一瞬のうちに、その面を取りかえるようにして顔色がよくなり、

「ほんとに?」

と声を跳ねらかせて、元気よく躍動した。で、僕は気がひきしまる思いをしながら、

「はい、その時に誰も参りませんのでしたら、その時は私が責任を持って参ります」

と慎み深く申し上げたのでした。ところが、倉田さんはそれを聞いて、

「なぁ〜んだぁー」

とずっこけていた。そして、馬鹿にしないでよ! とでも言わんばかりに、嫌! って顔をした。それから、僕に視線を送りながらも身を引くように、気落ちしてか、体を小さくした。それでも、僕は、馬鹿だったんだよなぁ、理解に苦しみ、

「えっ!」

とポカンとしていた。何かまずいことでも言ったかなぁ、なんて漠然とぼんやり考えているような頭ん中が空っぽになってしまっているかのような具合で。

 そこで鶴川さんが面白がって、

「誰も行かなかったら、ね。んふっ」

と顔が笑っていた。キャッキャキャッキャとケラケラほんとに楽しそうにしていた。倉田さんは口をとんがらせていた。でも、それが倉田さんらしくもなくかわいかった。



「でも、ほんとに今年の一年生は豊作よ」

「ほんとにそうなんですかぁ」

「栗山、当たり前のこと聞くな。豊作に決まってんじゃねぇかよう。上を見ろ、上を。ろくな男いねぇじゃねぇか」

「そうかぁ?」

「そうだろ」

「だって藤平さんなんかどうよぅ」

「まっ、そうだけどよう。でもな、他を見ろ、他を。お前、考えてみろよ、考えて」

「でも、藤平さんなんかやっぱり俺達なんかよりは全然いい男だろう」

と僕が秦野に疑問を言うと、倉田さんがそれに口をはさんだ。

「藤平君は、まぁ、見た目はね、見た目はいいんだけどぅ、中味がね、中味が。あの性格じゃあねぇ」

「性格、悪いんですか?」

「まぁ、悪いとは言わないけど、あれじゃあねぇ」

「栗山、男として、なっ、魅力があるのかってことだよ」

「じゃあ、一年は男としての魅力があるって言うのかよ」

「当たりめぇじぁねぇかぁ」

「お前に魅力あるか?」

「ハッハッハ、そうくるかぁ」

と僕の言葉に秦野が吹き出すと倉田さんがまた、

「秦野君は魅力あるわよ」

と入り込んで来た。それは僕に抗議をするかのようでもあり、体は半身にして顔は真正面から睨めつけるといった感じで、それから、体の方向に首をねじって秦野に向いて微笑みかけた。秦野は多少どもりながらも、

「あ、そ、そうですか?」

と言葉の上では疑問でも表情はスマイルした。それに対して、倉田さんは下から秦野に面を寄せて、

「そうよ」

と優しく添えた。

「そうですかぁ」

「そうよ」

「あ、ハハッ、そうですかぁ」

「そうよ」

と秦野と倉田さんは交わし合うと、それから、互いにうなずき合っていた、うんうんうん、と。

 僕はあんまり面白くなくて、

「秦野ってそんなにいい男ですか?」

と吐いてしまった。すると、倉田さんはまた僕の方に半身になって、

「秦野君はいい男よ。それから、柿沢君も、遠木君も」

と固定された機械的な笑みを浮かべ、目は笑っていた。僕は自分でいい男だなんて思ってる訳はないけれど、僕だけが名前が出されなかったことが、そして、それを口にしながらの倉田さんの素振りがいくら倉田さんだからといっても気に食わなくて、それが露骨に態度に出てしまっていた。僕はふて腐れていた。

言ったら丸でただのきかん坊が駄々をこね回してるばかりじゃないの? って思われても仕様がない位だったんだろうねぇ。でも、僕は海で育った野球少年だったから、この頃の僕は何も訳分からずも都会の中に放り込まれた少年がそういった世界でのたしなみなんぞはお構いなしに、ほんとに田舎で育ったまんまのそのままの奔放さと洗練されてないままの無邪気の邪気でふる舞っていた訳だから、回りはさぞかし面食らったんじゃないのかなぁ。





 アハッ、ほんとに子供だよねぇ。今の僕も十分子供だけど、この頃の僕と言ったら丸でただのきかん坊が駄々をこね回してるばかりじゃないの? って思われても仕様がない位だったんだろうねぇ。でも、僕は海で育った野球少年だったから、この頃の僕は何も訳分からずも都会の中に放り込まれた少年がそういった世界でのたしなみなんぞはお構いなしに、ほんとに田舎で育ったまんまのそのままの奔放さと洗練されてないままの無邪気の邪気でふる舞っていた訳だから、回りはさぞかし面食らったんじゃないのかなぁ。アハッ、これじゃあ、ただのいい迷惑なだけだよねぇ。ハハッ。

 ところで、その日は、結局、僕はむくれるは倉田さんは僕をからかっていたのかなぁ?それとも倉田さんの意図するところからの持ってき方からはあまりにもあんまり思い通りにはいかないもんだからと、この田舎少年相手にテクを使いこなそうかとしてもものの見事に通用し過ぎちゃって、過ぎたるは及ばざるがごとしじゃないけれど、却って手を焼いていたのかもしれない。だって僕は、男と女のやりとり、だとかぁ、恋のかけひき、なんてものは知らないどころの騒ぎじゃなかったし、それでいて、負けてたまるか! っていう意識だけは人一倍強くて困らせてばかりだったのかもしれない。

 でも、最後には倉田さんと僕はこんなことを確認した。

「倉田さんと僕は会う機会は少なくても、まだ数える位しか会ってませんよねぇ」

「そうね」

「そうですよねぇ。まともに話しなんかしたのは今日がサークル説明をしてもらった時、以来のことですからねぇ」

「ほんとにそうねぇ」

「でも、倉田さんと僕は会う回数は少なくても心の中でガッチリと結ばれてますよ」

「そうかなぁ」

「そうですよ。僕はそう思ってます」

「ほんとにそう思ってる?」

「はい、僕は倉田さんを信じてます」

「じゃあ、ほんとにそうなのね」

「そうですよ」

「じゃあ、そうなのね」

 僕は倉田さんに敬意を表して、倉田さんを崇めているつもりで、師匠だと思って、そう言い切った。そしたら、

「栗山君、あたしはどうなの?」

って、僕が「倉田さんを信じてます」なんて大層なことを口にしたもんだからと鶴川さんは彼女にしてはしおらしくそうっと尋ねてきた。僕は、その時、初めのうちはなんて答えたらいいもんだか自分でもよく分かんなかったんだけれど、鶴川さんのその言葉には妙に重みがあって、それで一遍に、また僕が答えられないということで一層、その場の雰囲気は変に緊張感の高まるものになってしまった。だから、僕はやたらなことも言えないかと思って、それでどう返答したらいいもんか、困ったなぁ、なんて思いながらにも、そうだからこそ余計に答えられずにいると、その場は何か切迫してしまったかのような沈黙が続いてしまっていた。鶴川さんはその間中ずっと下を向いて、じっと僕の言葉を待っているようだった。それで僕は僕なりに頭を使って慎重に言葉を選び、そして、それを口にしてしまわなければ、という決まりが着くまでの重苦しい沈黙から脱すると、それを突き破るようにして声を発するということで思い切りよく返事した。

「鶴川さんとはまだそれ程親しくはないですから、これからはもっと仲よくしていただきたいです」

と。

 それを鶴川さんは下を向いたまま、そして、それを聞き終えるとさらにあごを引くようにして、少しばかり残念そうに、それでいて悔しそうにしていた。



 倉田さんと鶴川さんは互いに呼吸の合う相棒でつるんではいたようだったけれど、何かにつけては張り合うようなところがあって、時には共通の目的のための同志になったかと思えば、ある時にはライバル関係になったりを繰り返していたそうだ。でも、いつもいつも軍配は鶴川さんに上がっていたと聞いている。だから、もしかしたらこの日には、僕もだしに使われていたのかもしれない。でも、この時、倉田さんの方では、本当のところ、どう受けとめていてくれたのかなぁ?



 それが一年の前期が終わってこれから夏休みに入るという頃のことで、その後に倉田さんに会ったのは、それからだいぶ経ってからだったよなぁ、十二月位のことだったかなぁ、このメンツ(倉田さん、鶴川さん、柿沢、秦野と僕)に遠木を加えた六人ーー小森は秦野が嫌だと連れて来なかった、可相相ぉーーでスケートに行って(実はその日もなんだかんだと言いながらもオールナイトになって楽しかったんだけれど)、あとは学期末の試験の時に倉田さんが他の三年生達と一緒に勉強しているところを見かけて、お昼を食べる時に学食で一緒になったこと位かなぁ。それでサークルでスキーに行ったのが年を越えた二月のことでぇ、それからしばらくして僕が倉田さんにお電話をさしあげて、二人でお酒を飲みに行くことになったはずのところがお流れになってしまってぇ…

 あっ、そう言えば、スケートに行く前に、一回、秋の学祭の時に倉田さんが顔を見せてくれたことがあったっけ。そうだそうだ。あっ、でも、その時は何だかすぐに帰っちゃったんだよなぁ。どうしてだっけ? あれぇ〜、どうしてだっけ?



 それにしても倉田さんと僕はほんとによくよく考えてみれば全然会ってないんだよなぁ。それでこれだけの信頼関係があるんだからそれは凄いことだよなぁなんて僕だけが勝手にそう思い込んでるだけだったりして。でも、少なくとも僕の方ではそれ程までに信じ込んでいるんだからそれだけでも大したことだよなぁなんて思える。



 ところでところで、来ました来ました。鶴川さんからお手まみの返事が。

 えぇとえぇと、『訳のわからない(でもけっこう笑える)お手紙をくれた栗山君、どうもありがとう ついでに返事がすっかり遅くなってごめんなさぁい…へへへ 笑って許してちゃぶだい。』だってぇ。そう言えば、あの手紙は結構ギャグをひねって駆使して書いたもんだからそれなりに受けてはくれていたんだろうなぁ。それでぇ、何々、えぇとぅ、『私は近頃太っちゃって…もともと丸い顔が更にいっそうワをかけてプクプクしています。はっきり言って困っています…どうかやせる方法を教えて下さい。あー4月の健康診断の事を考えるととっても怖い』かぁ。それにしても鶴川さんの姿が浮かんで来るような、かわいらしいようなくねくねしているようなまんまるっちぃような、字、してんなぁ。ハハッ、きゃわゆいきゃわゆいおねぇたまぁ、の、鶴川さん、だこと。『ところでバイトの方はいかがですか? 風のウワサでは子分を作って楽しくやってるらしい…ということですが…突然今思い出したけどこの手紙が着く頃、ひょっとすると栗山君は大阪にいたりして…えーん、まぁいいや。』あっ、そうそう、僕は柿沢とこの春休みに実家が大阪にある遠木のところへ遊びに行くことになっていて、でも、それを鶴川さんが知ってるってことは柿沢も彼女と連絡を取ってるってことになる。う〜ん、隅に置けない奴。ところで、秦野は、というと奴はスキーの体育会に近いようなサークルにも入っていて、その長期合宿のために一緒に行くことはできなかったんだけど。『ーー中略ーーそう、Talking Heads の Road to Nowhere残念ながらいまだに聴いてないの。というのもこっちには貸しレコード屋というものがないの。んで、自分で買うお金はないの。うーん、ぜひ私の分もダビングしといてちょーだいね。図々しいかしら。でもあの歌詞の訳、なかなかいいナと思いました。』



Well,we know where we're going. But we don't know where we've been.

And we know what we're knowing. But we can't say what we've seen.

And we're not little children. And we know what we want.

And the future is certain give us time to work it out.



  うん、僕達どこに行くのか知ってるよ。でも、今どこにいるのか分からないんだ。

  分かることは分かるけど、でも、今見ているものが何なのか口では言えないんだ。

  でも、僕達ちっちゃな子供じゃないんだから、欲しいものが何なのかは分かってる。

  それに、未来があって、確かにやり抜くだけの時間だってあるし。



 僕がこんな詩を訳して鶴川さんに贈ったのは、それは、今年の四月から、今度の新学期からはもう四年生になってしまう彼女に対して、頑張って下さいね、と、それから、毎週々々、木曜日、ありがとうございました、という意味でだったから。

『日本が懐かしい今日この頃です。4月のあたまでもまだ雪は残ってるかナー。できれば皆でスキーに行きたいネ。では私も手紙は2枚がオシャレ…の法則に従いたいと思います。またね。

バイバイ  』

 三月になり、僕は柿沢と大阪にいる遠木に会いに行くために、そして、できれば東京から大阪の間にある海や山を二〜三週間のうちで無計画に気が向くままにドライブして見て回り、それから、途中でスキーをしたり山ん中で宿が見付からなければドライブ・インやそれさえもなければちょっと横づけにできるような道端に車を止めて朝が来るまでそのまんま寝てればいいや、なんて、あとハイキングしたり、小高い丘の上から畑なり田舎そのものを堪能してみたいと、それと、いいスポットから時間を忘れる位に海を眺めたりして過ごしてみたいなぁ、なんて考えたりしていた。それで毎日せっせとバイトをしていた。 ところで、僕は毎日せっせとバイトをしながらその出発日が来るのを楽しみにしていたのも確かなことだったんだけど、それよりも何よりも倉田さんからの電話がなかったもんだからと、その癖、鶴川さんからはエア・メイルが届いたもんだからとそれだけのことで、おねぇたまぁ、おねぇたまぁ、と僕はバイトの最中もおねぇたまのことばかりを思っていた。新学期になって彼女に会えることを心待ちにしていた。でも、僕は本当に単純だったんだなぁと思える。単純とは、広辞苑によれば、単一でまじりけのないこと。そのものばかりであること。純一。構造・機能が複雑でないこと。簡単。とあるけれど、僕の場合は単純って言ってもそのままその通りの意味でも単純だったんだろうけど、単なる純、という意味での『単純』の方が当たっていた訳で、田舎育ちの海で育った野球少年だった僕は感受性があまりに強くて、ちょっとしたことですぐに傷付いたり、大袈裟に考え過ぎちゃったりして悲観的になっちゃったりと、だって電話がかかってこなけりゃこっちからかければそれで済むことなんじゃない? って今の僕の方が変に割り切れるようになってドライになっちゃったってことなんだろうか? そんなこと思うと悲しくなる。だから、僕はいつまで経ってもすぐに滅入ってしまう性なのかもしれない。だってね、実は、ってこれを言うのはまだ早過ぎるから言わないことにして置こう、なんてね。

 で、僕はスキーをしながら考えた訳よ。ドライビングしながらカーステに自分の思いを込めたテープを聴きながらにして思った訳よ。こんなこと、あるよね? それから、日本海を見つめながらに、そして、祈った訳よ、目をつむって両の手の平を合わせて、じっと。じっと、ね。倉田さんと結ばれますように、って。何だかこんなこと言うと、ちょっとぉ恥ずかしいなぁ。

 それから、そう言えば、柿沢はこんなこと言ってたっけ。

「俺、鶴川さんと付き合っちゃおうかなぁ」

なんて。これには僕もびっくらこいてしまった。『付き合っちゃおうかなぁ』って言う位なんだから、僕らの知らないうちに二人の間に何か大それたことでもあったっていうことでもない限り、普通、『付き合っちゃおうかなぁ』とは言わないよね。それで僕が探りを入れてみると何だか言葉を曖昧にしてお茶を濁していた。確かにお茶は濁ってるからおいしいもんなんだろうけどぉ、って言ってもよくは知らないんだけどぅ、って濁ったお茶の色の気にお茶菓子の添えられた色恋沙汰、って何言ってんだか自分でもよく分かってはないんだけど。

 そんなのずるぅ〜い、なんて思ってしまった訳よ、僕は。それで僕は焦りのような怒りのような、そんなこと、あんまりずるくない? なんて、だって柿沢の態度からすれば、かなりの進展具合のようにとしか見なせなかったし、それにしても相手は鶴川さんだってのに随分と横柄な言動の、慎みなさい、とでも言いたげな僕は、そんなこと言える訳ないじゃん、と僕の方が慎んでしまっていた。それでも、柿沢には、ずるいずるい、と、鶴川さんには、ひどぉいひどぉーい、というような気持ちになってしまったのだった。

 僕って移り気なのかしら。

 でも、ほんとはね、ほんとは僕は好きだった娘がいたんだぁ。ほんとだよ。誤解しないでね。僕は確かに倉田さんを尊敬していたし、憧れてもいたし、とっても素敵な立派な大人の女の人だとは思ってはいたんだけれど、でも、だからって言ったって『好き』だった訳じゃあないんだよ。そこんとこは敢えて強調しとくね。『好き』っていうのと憧れとは別ものでしょ。それでもやっぱり憧れてるひとにかわいがってもらったら嬉しいでしょ。一緒に遊んでもらったら楽しいでしょ。優しくされたら牽かれるでしょ。見つめられたらボーッとしちゃうでしょ。肌と肌が触れたらドキッとするでしょ。胴と胴とが、ぐにゅ〜、って弾力を感じたら、そしたらやっぱり僕だって男なんだから…。でも、それって、それだけで『好き』って言い切れるもんでもないでしょ。そうじゃない? ねぇ、そう思わない? そうでしょ! 

 僕には好きな娘がいたんだ。本当に好きだったんだ。でも、もう無理だと思って、諦めようかと思って、でも、忘れられなくて…。時たま思い出しちゃったりすると自分が駄目になっちゃいそうで、それで…

 僕は暗闇の中をさ迷っていた。

 いつの間にか、希望に充ちて邁進するはずだったのに、夢を膨らませているつもりが、あてどもなく彷徨しているばかりの、すり減ってしまっているばかりの自分に気付かされるだけだった。

 僕が、もうそろそろ晴れ渡るのでは、とちょっとでも期待をもたげてしまうと裏切られる。

 そして、あとには焦躁感に駆られている自分が闇夜の中に取り残されているだけになってしまっていた。

 僕が微かに、しかし、確かに小鳥の姿を捕らえると、僕の目はついばまれてしまい、何も見えなくなってしまう。そればかりか血が吹き出して、痛くて恐くて正気でなんかいられなくなってしまう。



 大学に入って恋をした。

 でも、それは、秘めた思いを内にしているだけの淡いものだった。

 僕は恋のどうすればよいのかを知らなかったからどうすることもできないでいた。それでも、内に秘めてるだけでしかないその恋心に僕はとろけるばかりだった。こんな思いができるなんて、それだけでも胸の鼓動が僕をくすぐるようでたまらなかった。

 だけど、そのうちにこの胸の内に宿る思いは僕に窮屈を覚えさせるようになり、やがて、僕を駄目にしていくようになった。この切ない思いを耐えるには僕はそれ程強くはない。この思いを告げるには僕は少々臆病であり過ぎた。だからと言って、どうこうすることも特別に何かできる訳でもない僕には問題が少し難し過ぎて、身動きが取れないままにただただ時間ばかりが過ぎ去って行くだけだった。

 息苦しいてたまらないよぉ…

 それから、どんどんどんどん精気が失われていくようで、僕は疲れ果ててしまい、あとにはこの僕にこびりついて離れない、どうにも仕様のないこの思いはさびた鉄が熱いうちには打たれなかったものだからと、僕をひきずるように傷つける。それが、痛くて痛くて僕はどんどんどんどん荒んでいく。





  小春日にさびた鉄をば握りしめ





 でも、あの娘のことを思っていると知らず知らずのうちに夢を見てしまい、心地よい気分に想像が膨らんでいき、はっとして我に帰る時の虚しさは期待が余って千倍とでも言うべきか…そんな時、ため息ばかりついてしまう。この頃はそんなこんなで気が沈んでいく一方だ。

 あの娘の方では、たぶん僕のことなんて思ってくれている訳ないだろうなぁ…

 僕はこのままではいけないと思うようになって、まず、彼女と僕が結ばれることを考えてみた。それは夢見ることはできても、現実性に乏しいものに感じられた。だとすれば、どうすればいいのか? 傷が深くならないうちに諦めることだ。このままでは死んでしまいそうだから。でも、忘れることなんてできるだろうか? それも難しいことのように思われた。いっそのこと告白してしまおうか? それは無理だ。ふられたら、それこそ立ち直れなくなるだろう。第一、そんなことする勇気もない。誰か他に好きになれそうな女の子でも見付からないものか? 身の回りの女の子を一通り思い浮かべてみた。でも、よく考えてみたら、僕が好きになれて向こうもそうなってくれることを願うのならば、初めからあの娘と結ばれることを思う方がいいに決まってる。だったら、結局、この思いを圧し潰してしまうより他にないではないか! でも、どうやって? このままただ時間の過ぎ行くままに身を任せていたら逆にどんどんどんどん好きになっていってしまうだろう。

 もう、どうしたらいいのぉ〜?

 僕は途方に暮れてしまいながらも諦めよう諦めようと自分に言い聞かせることで毎日を繰り返していた。こんなはかない思いで過ごしていても、初めから拠る所もないままに自分を雁字がらめにしているのだから、不安になったり人恋しくなったり、一人でいる時間をなるべく少なくしないと参ってしまうから、毎日夜遅くまで友達に付き合ってもらったり、友達ん家を転々としながら家に帰らないようにしたり、逆に一旦家に戻ったら億劫になってしまうので部屋にとじこもったままじっと耐えていたり、それで、元気を取り戻して学校に行くとあの娘の姿を見かけたりしてしまって。すると、今までの苦労が一遍に台無しになってしまい、また一からやり直し、なんてことになってしまって。

 そんな状態が数カ月も続いていた。



 でも、僕は、もうこんなことしてても仕方がないんだよなぁ、なんてようやくそんな風に思い込めるようになってきて、春休みに入ってからは、あの娘にバッタリ会っちゃった、なんていうこともなくなって、それで死にそうになる位の情緒不安定に陥ることもそれ程ひどくはなくなってきてね、それでも、随分とひきずってはいたんだけれども、ただ何となく、パッとやりたくなって、また倉田さん達と盛り上がれば気分も晴れるかと思って、それで倉田さんに電話したんだ。それにやっぱりスキー合宿の時のことが印象的だったし、だから、倉田さんに、二人で? って持ちかけられた時にも、そりゃあ、最初はびっくりしたけど、でも、それに乗っかってもいいんじゃないのかなぁ、なんて気にもなってたんだと思う。渡りに船だったんだよ。それでも、やっぱりぃ…なんて沈んでもいたんだけど、でも、決めたんだ。倉田さんにするって。何が何でも倉田さんに、師匠に、当たって砕けてみろ! って決めたんだ。海にお祈りして。旅をして、海を見て回る度毎にだんだんとだんだん気持ちも落ち着いてきて、だから、倉田さんから電話がかかってこなかったことがそれ程までにはひっかかりはなくなっていった。

 僕には、もうこれで行くしかないんだ! なんていう決まりが着いたかのような気持ちの整理ができつつ、そして、気の持ち様がそこに落ち着いてきて、ひきしまっていくようになっていたんだから。

















  その四、お守りに手が生えた



 四月になり、僕は二年生となり、新たな気分にこれからは自分のためにも頑張ろうと気分を一新していた。

 だって去年の一年間と言ったら、僕は一年なのに、新入生なのにサークルをまとめるのに本当に大変な一年間だったんだから。

 僕らのサークルでは毎年一年生だけで秋の学祭を運営することになっていて、僕はその責任者にさせられてしまったのだった。それで固定のメンバーだけならともかく、幽霊になりかかっている会員にも手伝ってもらうために、そして、それによりサークルを活性化させるためにどれだけ苦労したか知れない。

 例えば、誰々さんは兼部している別のサークルとのバランスがどうたらこうたらとか、誰それさんはやれっ○○先輩からしつこく誘いの電話がかかってくるからあんまり先輩達には来て欲しくないだとか、とにかく何から何まで全部一手にひき受けけてしまったもんだから、僕は忙しくて気苦労が多くて要らぬ心配ばかりさせられて、ってこんな話はしても仕様がないからこの辺でやめとく。でも、小森はほんとに力になってくれたんだよなぁ。でも、小森は本当にはサークルに顔を出してさえいれば秦野には会えるからと、ただそれだけのために手伝ってくれていたのかもしれないなぁ、なんて思えなくもなかったけど、その位の自分の都合で動くこと、誰にだってあるよねぇ。だから、小森、ありがとう!

 でもね、やきそば屋さんをやったんだけど、もの凄く売れて儲かったんだよなぁ。それに最後にはみんなで力を合わせて頑張ることが出来たように感じられた。だから、一年生だけなら何とかまとまりも着いてるようにも見なせられないことはなかったし、よく一年だけで遊んだりもしたなぁ。それがなくなってからだよなぁ、サークル自体はあんまり面白くなくなってきたのは。でも、その儲かった分で、みんなでどっかに遊びに行こうねぇ、なんていう計画もあったんだけどぉ、それがまたそのお金のほとんどを、先輩達がねぇ、奴らが飲んじゃった訳よ。僕はもうそれで愛想を尽かしてしまっていた。だから、今年は思いっ切り自分勝手に遊んでやろうと思っていた訳よ。

 でも、まぁ、別に何か特にすることもないし、身体検査には行かなければならないから、とりあえず学校に行ってみると、新入生の勧誘と案内で学校中がごった返していた。

 僕は去年の今頃を、自分の時のことを思い出して、やっぱりこの時期は一番盛り上がるんだなぁ、なんて…



 高校を卒業して『入学式』のなかった僕は、半ば名目上大学受験浪人のような毎日を過ごしていて、模試も終わる頃になって、それまでの遅れを一遍にどうにかしてしまおうというような、あまりに自分勝手で浅ましい大それた身の程知らず野心など、さらさらありもしなかったが、クリスマスも正月も講習に通って、半分は感傷に浸っていたのが実情だったのだろう。

 巷にてジングルベル鳴るを、霜夜にこそありつれ、笑ひ顔ばかり通り行く、





  北風にまろかされたる背であらばおほかた不憫なかりしものを





 何だか人の行き来は激しくて、その中で僕だけがぽつんと一人、とり残されているようで。何だか僕だけが仲間外れにされているみたいに思われて。

 僕が少しでもなるべく早くこの人混みの渦から抜け出そうとしても、逃げても逃げても人の往来は絶へなくて。

 それで、知らず知らずのうちに目に熱いものが…。小走りになっても夢中になって逃げ出そうとしても、楽しそうな面がざわめきを、そして、ささやきを街角にこぼして落として行くようで。それから、嬉しそうな軽やかな足どりが、僕の眼に跳び込んで来て。

 僕は背を丸めて縮こまって、それで、通り行く人達の中で、悔しくて恥ずかしくて情けなくて。それでも、人混みが僕をいじめるようで、何度も何度も押し寄せて来るようで。

 試験まで、頑張りのもがきは続いたものの、それは、内心、来年こそはちゃんとしよう、という戒めだった気がする。



 まだ、二三の入試を控えていて、その日、前日まで重なり続いていた日程で、多少風邪をこじらせていた僕は、階段を駆け上がって来る母にきょとんとしたが、電子郵便の到着を、即合格通知と取り違えたらしく、わざわざ試験の最中に足を運ばなかったので、本当のところ、それは不合格を目の当たりにする怖さからだったに違いないが、臆病でその癖頑固な僕は、それを今でも、主観的に認めようとする言い方を拒むけれども、平静を装う自分も舞い上がった。何を隠そう、この私も電子郵便の何たるかを知らなかったからだ。 その後、電子郵便に自分の番号があったりなかったりしたが、結局、最初の通知より都合のいいものはなかった。振り込んだ金も捨てることになったら惜しいが、そんな迷惑なら喜んで迎えよう、とほくそ笑んだりもしたが、迷惑も喜んで迎え入れることもそんな気苦労はくたびれもうけだったし、金は無駄にならなかった分惜しくはならなかったが、ほくそ笑んだ分骨折り損だった。

 この辺の心情は自分でも定かでないが、あとに残ったのは、これで自分も凡人になれる、という気持ちだった。入学式の時には、その念がさらに強められて、晴れやかに、あぁ、これで立派に十分凡人だ、と、俺も凡人だ、と、胸を張って、もう世に背く、背を向ける者ではなくなった、と。

 それからひとつへまをやった。

 クラスガイダンスに遅れていって、目が点になった。もう、二人三人位ずつ、それなりに所々でそれぞれ固まりになっていて、クラスで友達らしきものができてきたのは、それからかなり後になってからのことだと思う。

 でも、やっぱり大学はサークルなんだと、説明を聞きに行こうとして、いくつか思い歩くところ、教室の前まで来て、心臓の回りの毛細血管に血がたまり過ぎたような気になって、そのまま加速して、歩を速めたりした。一応、開いたドアからちらりとのぞき込んでおいた。

 ある時には、直り切って部室の前でしゃがみ込んで、どうにかしてもらおう、と思ってみたところ、別に大したことなかった。でも、それで身体は休まった。

 時には、何人かが、一年生じゃない? とか言ってくれてるのに、その隣りが、あんな態度でかいのが一年の訳ねぇ、とか一喝してしまったことがある。よく、一目でそんなことが言えたもんだ。別に普通にしてただけだ。だったらなんだ。大きなお世話だ。口は動かぬ代わりに心で思った。顔が赤くなって、髪も立った。生まれつきのせいもある。その時ばかりは腹も立った。それは、減ってたせいもある。

 その後で勇気をふり絞って、門を叩いてみたところ、実際、門なんかないが、こういう時そういう言い方をして、別に誰でも知ってるって分かってるけど、こういう時そういう意味でこういう言い方をして、それで分かってもらえるかとかちょっと心配してみて、別に分かってもらえると思うけど、何か偉く大層なことに聞こえないかとか、ちょっと気になったから、言ってみただけだけど、実は、意外と大層な気分になって、乗り込んでみました。

 すると、意外と奇麗なおねぇさんがおせぇてくれました。

 最初に目が合った時、このひと、俺のこと好きになるかもしれない、なぁ〜んて馬鹿な気がわいたんだけれども、滅多に思うことでなし、大きな二重の、猛々しい眉の、赤茶のかかって肌に行き渡る、あくの強くて肉付きのよい重厚な彫りに、世の俗に背を向けていた僕はしばらく声が出なくて、大きな眼が随分大きく見えて、耳に栓をされたみたいに、のどがつまったみたいな、まゆがそり上がって、言わざる聞かざるよく見える、みたいな、気持ち薄ら浅く黒の通る、血の気のあぶり出す面の、ソバージュの長く肩から上腕に裏に流れる、パッと見、安っぽい遊び女に見間違うかの情恋の漂ひと小窓から差す日のあるかなしかのぼんやり、うつ伏す様かの哀愁に長く伸びるまぶたの開閉の妙や、顔色の向きの心なしか憂げなるやあらん。



「整形手術なんかじゃ真似できない顔だよね」

「それってどういうことなの?」

「だから、人間らしい、人間味のある肉付きで、重厚なんだよ」

「それって、顔に肉があまってるって言い方にならない?」

「ハハッ」

「そりゃあ、生まれてから一度だってゲッソリやせたことなんてないし、一度位はゲッソリって感じにもなってみたいけどね」

と、ほおの肉をつまんで長い目つ毛をパチクリさせて太い視線はどこ吹く風。



 身体検査を終えて、僕はその帰りがけにサークルを覗きに行きたくなって、顔を出してみると、皆それなりに忙しなく、せっせせっせとしていた。

「あっ、くりくり。もう、ちょっと大変なんだから少しは手伝ってよ」

「えっ、あぁ、そのつもりだったけど」

「じゃあ、ちょっとそこの新入生の子達に説明をしてあげてよ」

「あぁ、うん。分かった」

 僕らのサークルでは、勉強する時はする時で、遊ぶ時は遊ぶ時で、と、どちらもバランスよく、もう大学に入れたからと、ただ遊ぶことにばかり夢中になってという訳でもなく、だからと言って、ガチガチに勉強ばかりしていたら、もっと他に何かやりたいことだってあるんだろうし、なんてことをモットーにして、それで、何かのテーマについて、ディスカッションをしたり、それを通じて他校との交流を深めたり、それから、あと、英会話、英語でのデイスカッションをしたりすることが主な活動で、その他に色々な遊びの企画があったりした。

 それで、ビラを配ったり、声をかけたりして、興味を持ってくれた新入生には、入る入らないは別として、学校そのものについての説明をしたり、学部学科毎にその特徴や先生についてのこと、授業についてのこと、ゼミについてのことをその学部学科に属する会員がいればその人達が説明して、それがいなければ、まぁ、普通に知られている程度のことを皆で話してあげたりして、それから、時間割作りの手助けをしてあげたり、実は、こういうことが『このサークルに入っていれば何だか安心だなぁ』なんて思えちゃうことなんだけど。それで、色々と話しをしているうちにだんだんと打ち解けてくるし、そこで『うちのサークルだったら…』なんて話しをおりまぜていくのである。ぅ〜ん、よく出来てる。 僕は、去年、自分がしてもらったような話しを頼りに自分なりに新入生達に親切にしてあげているつもりだった。僕はおしゃべりをするのが大好きだったから、ほんとに入会するかどうかは別にして、ざっくばらんに話しを進めながらにこの場の会話を楽しんでいた。 しばらくすると、もう普通に友達同志のような感じになっていて、それはそれでいいもんだった。それに僕も『先輩』になってしまえたのだ、なんていうくすぐりもあった。

 そんな折りも折りに、倉田さんが姿を見せた。皆は四年生が突然現れたということで、「倉田さん。どうなさったんですか」「来てくれて、ありがとうございます」なんて声が跳び交っていた。それでも、倉田さんはそんな声は適当に受け流して一人でぽつんと座り込んでいた。で、僕はまだ話しの途中だったんだけど、一旦、トイレに行き、戻って来ると、そのまま倉田さんのところにまで足を運んだ。さっきまで一緒に話しをしていた新入生達は不思議そうにしているようでもあった。僕は、ちょっと悪いことしたなぁ、なんて思いながらにも、このまましばらくして倉田さんがどっかに行っちゃったらどうしよう、なんていう駆り立てられる気持ちもあったんで迷いはなかった。

 僕が倉田さんの目の前の椅子に座り込もうとすると、その動作のし終えないうちに倉田さんが上目使いに笑みを添えてこっちに向くもんだから、嬉しくて僕はほんの軽いジョークのつもりで、

「新入生の方ですか?」

と笑いかけた。そしたら、倉田さんは、

「先輩、時間割作って下さい」

と、何だか去年と逆になっちゃったなぁ、なんて僕はそわそわしてしまっていた。

 ところで、倉田さんは本当に時間割をよく考えながらに作る必要があった訳で、何故なら、倉田さんは滅多に学校に来ない人だったから。単位も一杯残っていて、まぁ、でも、一応は卒業可能圏内ではあったんだけど。だけど、四年にもなってこれだけ単位が残っているなんて、とちょっと心配にはなる位だったんだけど。

「先輩、パンキョー(一般教養)の楽勝科目、教えて下さい」

と倉田さんはぶりった。

「えぇとですねぇ…

なんていう具合に倉田さんと僕はお遊びをしているようだった。二人で甘くやりとりをして、とても楽しかった。

 でも、倉田さんはそれが済んでしまうと図書館に行かなければと、僕がひきとめようとしても急に顔色を変えて、受け付けません、といった毅然とした態度で、それでいて逃げるようにして出て行ってしまった。

 それは僕にはあっと言う間の出来事のように感じられた。

 それで僕は何だか寂しくなってしまった。だから、僕はサークル説明のお手伝いも早々にしてひき上げてしまった。

 それから、次に学校に行ったのは新歓期間も終わって、もう授業が始まり出した頃だった。それまでの間、僕は何となく家でぼんやりとしているだけだった。何か目標を失ってしまったかのような生活で、とりあえず授業も始まることだし、ということで、ふらりと外に出てみるかというようなところだった。



 僕の属していた学科は割りと融通が利いて、他の学科や学部までも違っても卒業に必要とされる単位として換算されるものが多く、その日の僕は他の学科の授業で、グループを作り、そのグループ毎に毎週もしくは隔週位で課題が出され、テストはなくて、一・二限の続きの授業で前期だけで単位が取れてしまうというものだった。僕は班で活動するということにも興味を覚えたし、前期だけでいいということにも、これはおいしい、などと舌なめずりをしていた。

 先生が入って来て、今日は今後の授業の進め方の説明と、あとはグループを各自で作ったら終わりにします、みたいなことを言ったりしていて、それを聞いた僕は履修要項通り、おいしいおいしい、と思っていた。

 でも、あんまり知ってる顔は見えなかったし、誰と班を組んだらいいのかなぁ、なんて、ちょっと不安に思い出してきたところで、倉田さんが教室に入って来た。あっ! 倉田さんだ、と僕は、偶然偶然、やったぁ! 嬉しいー、なんてコロコロと跳ね回りそうになってしまったのだった。

 倉田さんは、申し訳なさそうにして、すまなそうに体を小さくさせながらに入り込んで来た。それから、先生に一礼し、そして、前の方の席が空いていたんでそのままそこに腰を下ろした。

 僕は倉田さんの後ろ姿を見ながらにして、これはチャンスだ! と胸を躍らせた。それでうずうずしていた。

 早く説明なんか終わりにして、班を決めよう、ねぇ、早く決めよう、もう班を作ろう、なんて、貧乏揺すりをしながらに、やったやった、と小躍りしていた。で、

「それでは皆さん、適当に四〜五人位ずつで班を作って下さい」

という声が発せられると、僕は、待ってましたぁ、とばかりに倉田さんのところにへと勢いよく小走りになっていた。

 そして、僕は倉田さんの背後から、

「一緒に班を組みませんか?」

と丸で知らない者同志のような口ぶりで誘いの言葉をかけた。すると、倉田さんは横向きになって、背後の僕にそれと気付いたようだった。それで倉田さんは少し合間を、僕が座るにはちょっと狭過ぎる位の合間を、少しばかりお尻を横にずらすことで作ってくれた。 それでも、僕はそこに、倉田さんにピッチリと、倉田さんをクッションにするかのようにして思い切りよく体を預けた。そしたら、倉田さんの方でも僕に体重をかけてきて、倉田さんと僕は寄り添うように肩を並べ、べったりと密着し、それは、公園のベンチでカップルが、もうちょっと離れたら、とでも言いたくなるような位だった。それから、倉田さんは腿を僕の腿に合わせるようにして股を広げ、倉田さんと僕は脚から胴を伝わってひじで折れた腕の絡みまでが一つのつながりのようになり、その弾力から胸の鼓動さえも感じとれる位のくっつき具合になった。それで、血液の循環から、呼吸作用、それにちょっとした体の動きまでもが相関しているような、一体化しているような、二人で一つの動きをしているような。それから、倉田さんは、

「栗山班長、班員、倉田。栗山班長、班員、倉田。栗山班長、班員、倉田…」

と何度も何度も繰り返していた。



「まだこんな時間じゃあ普通の喫茶店なんかじゃ開いてる訳ないですよねぇ」

「そうだよねぇ。まだ十時過ぎたばかりだし、お腹すいてる?」

「いやぁ、まだすいてませんよ」

「じゃあどうする?」

「ぅ〜ん…。まっ、やっぱ、とりあえずお茶ですかねぇ。と言っても、開いてるお店なんて、

「ないわよねぇ」

「……

「……

と、そこで倉田さんと僕は互いに前後して体をねじって向き合い、どうするぅ、といった案配にやり場のない視線を合わせた。でも、それからまた数秒もすると僕はひらめいた。「あっ、ファーストフードなら、この時間だったら、高校生とかで混み混みになってて、うるさくて仕様がないなんてこともないでしょうし、結構すいてるんじゃないですか」

「あっ、そうか。それ、いいかもねぇ」

と倉田さんの方でも乗ってくれた。

「じゃあ行きましょう」

「うん、行こう」



「いやぁ、これならモスにして正解でしたねぇ」

「うん。この位の時間だとほんとにすいてるのねぇ」

と、倉田さんも僕も広々と感じられる店内を交互に目をくれた。

「そうですよねぇ。こんな感じだったら結構いいですよね」

「うん、そうね」

と、倉田さんは身を乗り出してまでして。

「いつもこんな感じだったら結構利用できるんでしょうけどねぇ」

「うん。まぁ、そうねぇ」



「ねぇ、あたしがこんなこと言ったなんて誰にも言わないでよ」

「何が、ですか?」

「だから柿沢君のことなんだけどぉ」

「柿沢がどうかしたんですか?」

「だぁかぁらぁ…」

「えっ、何ですか?」

「ひょっとして何も聞いてないってことはないでしょ」

「何がですか?」

「えっ、だって一緒に旅行したんでしょ」

「旅行ぉ〜、っていうか、まぁ、旅、っていうか、別に何の計画もしないままにぐるぐる回ってただけなんですけどぉ」

「大阪行ったんでしょ」

「はい、大阪も行きましたけど」

「ずっと二人で行動してたんでしょ」

「えぇ、まぁ」

「じゃあ、聞いてるでしょ」

「何が、ですか?」

「知らないの!」

「だから、何が、ですか?」

「柿沢君と美紀のこと」

「えっ、鶴川さんと柿沢って付き合ってるんですか!」

「そんな訳ないでしょ」

「あぁ、そうなんですかぁ? でも、なんかあいつ『鶴川さんと付き合っちゃおうかなぁ』なんて言ってましたけど」

「そんなこと言ってたんだぁ。でも、やっぱりそういう話しもしてたんじゃん」

「っていっても、ただいきなりあいつがそんなことを言い出して、何か聞こうとしても何だか教えてくれないで。でも、何となくそれっぽいような、二人ができる可能性がある、みたいなぁ、そんなことを匂わしてましたけど」

「それって本当?」

「えぇ、だから、倉田さんが今『柿沢君と美紀のこと』なんて言うから、てっきり二人はできてるのかなぁなんて思えちゃったんですけど」

「そんなことあり得ると思う?」

「えぇ〜。いやぁ、柿沢は何だか自信たっぷりのような、浮かれてるような感じだったから、でも、僕だって、鶴川さんが柿沢なんかをそういう対象として相手にする訳はないんじゃないのかなぁ、とは思ってたんですけど」

「そうでしょう」

「えぇ、でも、あいつ Be my Baby とか聞きながら自分でも口ずさんでたりしてましたよ」

「ほんとにぃ?」

「えぇ」

「ねぇ、ほんとにあたしが言ったって誰にも言わないでよ」

「はい」



「あぁ、そういう訳だったんですかぁ」

「そうよ」

「だったら、あいつ馬鹿みたいじゃないですか、ってそんなこと言ったらいけないんだろうけど、

「でも、ほんとにそうでしょ」

「まぁ、そうでしょうけど。でも、それじゃあ、アッハッハッハッハッハッハッハッハッなんて、ちょっと悪いけどやっぱり笑っちゃうわ。なんていけないんだろうけど」

「うんうん。全然。柿沢君の勝手な勘違い」

「そうなんですかぁ」

「そうよぉ。だって、普通、クリスマスに予定があるからって断られたら、彼氏がいるって気付かない? そうじゃなくても自分には気がないってこと位は分かんないのかなぁ」

「まぁ、そうですよねぇ〜、かなぁ」

「何で? そう思えない?」

「いやぁ、僕には縁のない世界ですから」

「そうなのぉ?」

「だって僕なんか去年のクリスマスなんか小森や柿沢達と遊園地に行って、それからお茶しただけですよ」

「でも、一緒に遊ぶ相手がいただけでもいいじゃない」

「でも、倉田さんなんかはやっぱり楽しく過ごしてたんでしょ」

「どうして?」

「だって小森が倉田さんも誘ったらしいですけど、ちょうどその時倉田さんがいなくて、用件だけ伝えといたらしいですけど、その後、倉田さんから何の連絡もなかったって聞いてますけど」

「あたしも誘ってくれたのぉ」

「えぇ、そうみたいですよ。でも、倉田さんだったら、まぁ、予定が入っていて当たり前でしょうし、

「あたし、そんな話し、聞いてないわよ」

「そうなんですかぁ。でも、どうせ来られなかったんでしょ」

「どうして?」

「だって、実際、ほんとに来られなかったんでしょ」

「ちょっと待って。それって、本当にあたしん家に連絡くれたの?」

「何だか、そうみたいですよ」

「それって、誰に?」

「確かぁ、倉田さんのお母さんに、だと思いますけど。あぁ、そうそう、小森がそう言ってましたよ」

「……

 倉田さんは、その時、あの倉田さんが口を半開きにして呆然としていた。











   未完、続編は出来上がり次第。





                                   ごんべぇ