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Reminder 〜形のない形見〜
その一、聞いて
僕は幸せなんだろうか?
他人に言わせれば、僕は可哀相な位に不幸せなのかもしれない。でも、僕は思うんだ、そんなはずはない! これでよかったんだ、これはこれでいいんだ、僕はこれでいいんだ、なんてね。
僕は自分で自分にそう自問自答することがあって、それで満足している。それで、いいじゃないか!
なぁ〜んていきなり一人でリキんで大声をはり上げても、みんなには全然何のことだかさっぱり分からないよね。それを知ってもらいたくて、それと、できれば同情してもらいたくて、それでこんなこと言うんじゃない。
でも、この僕の思い出をみんなにしゃべっちゃおうか、なんて思ったりして、突然だけど。
ちょっと前まではそんなことは決して思いもしないことだったし、他人に話して聞かせるなんて、そんなこともったいなくて、それから、恥ずかしくて、なんて思ってたんだけど、今は違う。
もしかしたら自分でも半分はやけっぱちになってるのかもしれない。でも、もういいんだ。だって思い出だもん。いい思い出なんだから。本当にいい思い出なんだから。だから、このまま僕の胸の中にだけずっとしまい込んでおきたい、なんて思ってた時期もあったんだけど、ちょっと自慢したくもなって。
でも、こんな風に思うのはやっぱり寂しいからなのかなぁ……
心の中では、心の奥底では、本当にはどう思ってるんだろうか? なんてことは僕にだって分かりっこないけれど、でも、こんなことをぐたぐた話しなんかしてるのは何故なんだろう? なんて思ったりすると、あぁ、やっぱり……なんてね。
でも、それでもこれでよかったんだ、なんて自分を慰めたくもなる。だって、これだけはハッキリと言い切れる。もしも僕以外の他の誰かが僕だったら、僕は絶対にそんなこと許せない。これだけは本当に本当の本心だと思えるから。
その一、そもそもの始まり
そもそも僕が他人から不幸せなのだと見なされてしまうような事の始まりはどこからなのか、と問えば、それは非常にどこからなのかよく分からない。というよりも、そのこと自体からして、事の起こりがよくはなかったんじゃないのかなぁ、なんて思ったりもするんだけど…
ただ、僕が倉田さんに救いを求めたことで、ただの恋わずらいから、僕が今までに生きていたうちで一番のショッキングな出来事が起こってしまったり、長くて長い複雑な恋心、となってしまったことへの始まりに結びついていったのかもしれない。
「はい、もしもし」
「お忙しい時間に申し訳ありませんが、倉田さんのお宅ですか?」
「はい、倉田です」
「あのぅ、私、○○大学○○会の栗山と申しますが、倉田先輩いらっしゃいますでしょうか?」
「ク・リ・ヤ・マ さん、ですか?」
「はい、私、ク・リ・ヤ・マ と申しまして、倉田さんとはサークルが同じで、倉田さんの後輩の者です」
「あぁ、はいはい、佳奈とサークルが一緒なんですね」
「はい、そうです」
「あのぅ、佳奈なんですが、今、私の実家の方に行ってるんですよ」
「あっ、そうですかぁ。それならば、また改めてお電話さしあげます」
「いぇ、実家といいましても、うちからそんなに離れた所ではないんですよ」
「はい、そうなんですか」
「えぇ、それで、そっちの方に電話してみてくれませんか?」
「あのぅ、そちらの方にお電話さしあげてもよろしいのでしょうか?」
「はい、今、そっちの番号を言いますので、
「はい、別に私の方はそれで構わないのですが、あのぅ、失礼ですが、倉田先輩のお母様でらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
「あっ、そうですかぁ。私、栗山と申しまして、いつも倉田さんにはお世話になっております」
「あぁ、そうですかぁ。こちらの方こそお世話になっているんでしょうねぇ」
「いぇ、そんなことはございません。私の方がお世話になっているということですので、
「あぁ、そうですか。それならば、とにかく私の実家の方に電話してみて下さい」
「あっ、はい」
「今、番号を言いますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
「夜分遅くに申し訳ありません。私、栗山と申しまして、大学で佳奈さんとサークルが一緒の者でして、倉田さんの後輩なのですが、倉田先輩のお宅にお電話さしあげましたところ、そちらに倉田さんがいらっしゃると伺いまして、それで只今お電話さしあげております次第なのですが、倉田先輩いらっしゃいますでしょうか?」
「……大学で一緒の方、なんですか?」
「はい、そうです」
「ぇえと、お名前は?」
「ク・リ・ヤ・マ と申します」
「……少々お待ち下さい」
「もしもし」
「あっ、倉田さんですか?」
「そうだけど」
「栗山です」
「なんでこんな夜遅くに電話してくるのよ!」
「えっ、遅いですか?」
「遅いわよ」
「だって、今、十時半ですけどぅ」
「こっちの家はみんな年寄りばかりだから。それに何かと口うるさいの」
「ぁ、そうなんですか。すみません…
「…向こうでそういうこと、何か言われなかった?」
「いぇ、別に…
「そう。あっ、待って。向こうに何時頃、電話した?」
「えぇと、もうだいぶ経ってますけど」
「だいぶって?」
「えぇとぅ、バイトの休み時間に電話して、そしたら、こっちだって言われましたので」
「今、どこなの?」
「駅です」
「どうしてその場でこっちにかけなかったのよ」
「いぇ、なんとなく電話したらまずいかなぁとか思ったりしまして」
「なんでそれからすぐにかけてこなかったのよ」
「いぇ、なんとなく電話しても大丈夫かなぁとか思ったりしまして。あのぅ、すみません」
「まぁ、そんなに気にしなくてもいいだけどぅ。でも、今度電話してくる時には気をつけてね」
「ぁ、はい、気をつけます。どうもすみませんでした」
「もう別にいいから」
「そうですか。あっ、でも、なんか随分こそこそしゃべってるようですけど、やっぱり、まずかったですか?」
「こっちではこんな時間に電話なんかかかってきたら大変なの」
「そうなんですか」
「そう。でも、それはいいとしてぇ、で、用件は?」
「ぁ、はい、あのぅ、また飲みにでも連れてってもらおうかとも思ったんですが、ちょっと無理ですよねぇ」
「別に、いいわよ」
「だって帰りが遅くなったりしたら大変でしょ」
「その時は向こうに帰るから、大丈夫」
「そうですか。ぁ、じゃあ、お願いします」
「うん、じゃあ、いつがいいの?」
「僕はここのところずっとバイトに入ってまして、ですから、いつでも倉田さんの都合のいい日で休みとりますけど」
「飲みに行くって、二人で?」
「えっ!
「……
「ぇ、僕は、またみんな適当に何人か誘って、と思ってたんですが」
「……
「もしもし」
「何?」
「あっ、はい。あのぅ、みんなは誘わないんですか?」
「飲みに行くんでしょ」
「ぁ、はい」
「じゃあ、二人で? それとも、みんなで?」
「ぇ、ぁあ、別に僕はどちらでも構いませんが」
「じゃあ、二人で、ね」
「二人で、ですか?」
「いや?」
「いぇ、別に構いませんけど」
「じゃあ、二人で、ね」
「はい」
「じゃあ、決まりね」
「はい…。で、いつだったらいいですか?」
「君はいつがいいの?」
「ぁ、ですから、僕はここのところずっとバイトに入ってましたから、いつでも倉田さんの都合のいい日で休みとりますけど」
「そう。あたしは月火水金ってバイトが入ってるから、木土日ならいつでもいいけど」
「あぁ、そうですかぁ。えっ? 今、何のバイトやってるんですか?」
「歯医者さんの受付」
「あぁ、そう言えば、前からそんなこと言ってましたよねぇ」
「そう、前にそんなこと話したかもね」
「えぇ、はい。確かにそんなこと聞いた覚えがあります」
「うん、あたしもなんかそんなこと言ったような気もするわ」
「はいはい。あっ、でも、ちょっと待って下さい。えっ、じゃあ、そのぅ、あれっ、
「アッハッハッ。何ぐちゃぐちゃ言ってんのよぉー」
「いぇいぇ、ハハッ。はい、ですから、そのぅ、アッハッハッ」
「もぉー、なによぉー。さっさと言いなさいよ。もう、切るわよ」
「あー、ちょっと待って下さいよぉ」
「だから、なぁーに?」
「いぇ、ですから、ということは、倉田さんが歯医者さんの助手の女の人が着てるのとか、看護婦さんが着てるのとかを着て、バイトしてるんですか?」
「そうよ。おんなじの」
「倉田さんが、ですか?」
「そう。ピンクの、着てね」
「えっ、ピンクなんですか?」
「そう。おかしい?」
「えっ、いぇ、別に」
「んふっ、声が笑ってる」
「いぇ、そんなつもりは
「ない?」
「はい」
「……
「ハハッ」
「アハッ、やっぱりおかしいでしょう?」
「いぇ、そんな
「アハッ。悪かったわねぇ」
「いぇ、別にそんなつもりは、あっ、でも、倉田さんが歯医者さんの助手の女の人が着てるのとか、看護婦さんが着てるのとかでピンクのなんでしょ?」
「そう、おんなじの」
「えぇ、どんな顔して仕事してるんですか?」
「別に普通にしてるに決まってるでしょ」
「ぁあ、そうなんですかぁ。ハハッ」
「バカにしてんの?」
「いぇ、別にそんなつもりは
「いいわよ、別に」
「あっ、でも
「顔のことは言わないで」
「あっ、でも、倉田さんがすました顔して、受付のところで、黙って座って事務処理なんかしてたら、ちょっと怖いですよ」
「悪かったわねぇ」
「いぇ、倉田さんは顔立ちは凄くいいんですけど、
「そういうのはお世辞にも
「あっ、でも、本当に倉田さんは
「はいはい分かったから。それで何なの?」
「あっ、だから、倉田さんが何もしゃべらないでただ黙って仕事してたら、ちょっと怖いかなぁ、とか思ったりしまして」
「あたし、怖い?」
「えぇ、はい。何もしゃべらないでいると。勿論、美人ですけど」
「あたし、美人?」
「えっ、倉田さんはほんとに顔立ちがいいっていうか、う〜ん、なんていうか、レベルが凄く高い女の人で、
「あたしって、レベル、高い?」
「はい」
「ほんとにそう思う?」
「はい、僕はそう思います」
「本当に、そう思う?」
「はい」
「…じゃあ、どうして怖いの?」
「あっ、だから、奇麗なひとはしゃべらないでいると、怖い位に思えたりもしますし、
「それってどういうこと?」
「どういうことって言われても…
「とにかく誉めてくれてるの? それとも、
「勿論、誉めてるに決まってるじゃないですかぁ」
「じゃあ、どうして怖いの?」
「あっ、だから、奇麗なひとが何もしゃべらないでいると、
「そんな、べちゃくちゃしゃべくりながらできるような仕事でもないでしょ」
「それはそうですけど」
「あっ、待って。もう、そんなにしゃべってられないから」
「えっ、大丈夫ですか?」
「もうちょっとなら何とかなるから」
「はい」
「とりあえず、飲みに行くのね」
「えぇ、お願いします」
「で、本当にいつでもいいの?」
「はい」
「じゃあ、決めて」
「えっ、倉田さん決めて下さいよ」
「栗山くんが決めて」
「えぇ」
「……
「……
「いつならいいの?」
「ですから、倉田さんの都合のいい日で…
「…じゃあ、あたしが休みの木土日の中から好きな日にちを選んで」
「はい。じゃあ、なるべく早い方でお願いしたいんですけど」
「じゃあ、木曜日ね。今度の木曜日でいい?」
「はい。で、場所と時間は?」
「待って。もう切らなきゃいけないから」
「あっ、じゃあ、また電話します」
「うんうん、こっちからかけるから」
「えっ! 僕もう今倉田さんがいらっしゃる所に電話かけれなくなっちゃったってことですか?」
「ぅ〜ん、かけない方がいいかもね」
「そんなにまずいことになっちゃったんですか?」
「ぅ〜ん、あっ、でも、別に気にしなくてもいいから」
「そうですかぁ。でも、すみません」
「だから、こっちは無理でも、こっちじゃなければ大丈夫だから」
「本当にこっちじゃなければ大丈夫なんですか?」
「うん、向こうは全然平気」
「でも、こっちに倉田さん、いるんでしょ?」
「そうだけどぅ」
「じゃあ、どうしましょうか?」
「とにかく、明日、あたしの方から電話するから。何時頃だったらいるの?」
「ぇ、あぁ、僕の方だったら別に何時でもいいんですけどぅ。あっ、でも、なるべくだったら夜の方がいいんですけど」
「じゃあ、明日の今頃の時間に電話すれば、いいのね」
「はい」
「じゃあ、明日の今頃ね」
「はい」
「飲みに行くのね」
「はい」
「次の、今度の木曜日でいいのね」
「はい」
「二人で、ね」
「はい」
「それは、決まりね」
「はい」
「じゃあ、また明日ね」
「はい」
僕は電話を切って、しばらくの間、ぼんやりとしていて、とりとめもなく、とにかく僕と倉田さんは二人でお酒を飲みに行くことになったんだから、僕と倉田さんは、二人でデートをすることになった訳で、とは言っても、普通、日本語でデートと言ったら、男女が二人で、ということになるんだろうけど、でも、ということは、僕は倉田さんとデートをすることになったということになる…
?…
!
……
デートなんて、ひさしぶりだなぁ。
でも、倉田さん程の人が本当に僕なんかを相手にしてくれるんだろうか? そんなこと、あってもいいことなんだろうか?
倉田さんは切れるような美しさの映えた面をしていて、その趣きは、一見、怖いものさえ感じさせる程で、それに化粧ばえはするし、着てるもんだって派手だし、たまぁにそれとなく自然な感じにしていたとしても、色気は十分過ぎる位にあるし…。あと、それから、ジーンズをはいたりして、多少ラフな格好をしてたりしても、アクセサリーがもの凄かったり。
それにしても、どうしてまた、いったいどういう訳なんだろう?
とにかく僕には不思議に思えてならなかった。
とにかく僕には予想外の展開になってしまったことになる。
僕にすれば、あれよあれよという間に決められてしまったことだった。
実際、僕は倉田さんの言われるままに、ただ、はいはい、と、何が何だかまるで訳の分からないままに了承してしまったことで、本当なら、もの凄く驚いているばかりのことかもしれないのに、そんなことを感じることもできないままに、拒否するのにもそんなことは大それ過ぎて、そんなことはする訳がないに決まってるし。
無論、そんなつもりは毛頭なかったどころか、そんな、お誘い、をされるなんてことは及びもつかないことだった訳だし。だってそんな出過ぎた真似に思いをはべらすなんて、そんなことおこがましくて、考えてもみないことだった訳でぇ。
でも、勿論、そんなことにまでは思いもよらないことだったとはいえ、こんな話がふってわいたのならば、僕はそれに跳びつかないはずはなかったんだろうし、今考えてみれば、そういうことにもなるんだろうし。
それにしても、随分と、まぁ、コロッと決められてしまった訳でぇ。それを思うとなんとなく、僕だって男なんだから、と、あまりにも情けないような気もしてくるし。
でも、そうされてみると、そうされることが、どうぞ僕をお好きなように、と、どうぞすべてさしあげます、といった気持ちにさえさせられてしまっているのにも、でも、そんなことにまでは僕の勝手な想像と図々しい程の思い込みなだけなんだろうけど。それから、今になってウズウズとわきあがってくる、秘められた期待であるのみばかりであってして。 それにしても、考えながらにしっかと話す余裕さえ与えてもらえなかった訳で、何ともはや、鮮やかな持っていき方だなぁ、なんて、とは言っても、もともとお電話さしあげたのは僕の方からで、でも、それは、またみんなで飲みに行きましょう、ということでダイヤルしたんであって。
それにやっぱり僕は倉田さんのことを、この人の言うことなら聞いていれば間違いない、という具合に崇めていたのも確かなことだった訳だし。
だから、なんて言おうかぁ、素直に言うことを聞いていればぁ、それでぇ、いいんじゃないのかなぁ〜、なんて思えたりして。
でも、それにしても不可思議なことで…
いったいなんでまた倉田さん程の人が僕なんかを相手にしてくれるなんて、二人でお酒を飲んでくれるなんて、そんなことしてみるつもりになったんだろう?
だって倉田さん程の人なら、他にいくらでも相手をしてくれる人がいるんだろうし、ねぇ、ちょっと遊び気分で僕のことを構ってくれる、っていうことなら、僕にとって、それは、僕だって男のはしくれなんだから名誉なことなんだろうけど。
とは言っても、年上の奇麗な女の人に構ってもらえる、っていうことを、ましてや、それが遊び半分で、というようなことかもしれないことを誇りにさえ思えてしまう僕の方にも、甘ったれで甘えん坊の性根が、あっ、でも、ほんとに僕はわくわくしてしまったのも正直なところだった。
だって倉田さんと二人だけで会えるなんて、一緒にお酒を飲んで、倉田さんが僕と二人だけの時間を作ってくれるなんて、こんなに嬉しいことはないし、だって僕は倉田さんに憧れていたし、それに僕は倉田さんのことを雲の上の人のような存在だと思っていたし。
要するに倉田さん程の人に僕なんかが、お近づきになれる、なんて、それはそれは恐れ多いことだなんて、僕にはそういう風にしか受けとれなくて。
だけど、まさか僕の方からそんなアプローチをするなんてことは考えてもみないことだった訳だし。たまぁ〜に倉田さんが何人かで遊びに連れてってくれる、ということだけで、後輩の僕、をかわいがってくれている、ということだけで、僕はどれだけ大変なことだと思っていたことだったろうか。
びっくりしちゃうような、舞い上がっちゃうような。そして、そのことをどれ程嬉しく思っていたことだったろうか。跳び上がっちゃうような、ときめいちゃうような。
僕の胸の内にはほのかに光が灯ったかのように、僕は感傷に浸ってしまい、それが僕にはくすぐったくも感じられてじんわりとしちゃって。
僕は夢見心地で一人だけの世界を作ってしまっていたのだった。そして、色々と想像をめぐらせては体中がじんじんじんじんとしてしまい、そのうちに想像さえもできなくなり、気持ちの方ばかりが僕を感じさせるようになってしまっていた。
でも、それが醒めると僕はまた不思議に思えたりして。
だって遊び相手にするんだったら、それも、わざわざ年下で、ということなら、僕なんかよりかわいい坊やなんてのはいくらでもいるんじゃないの?なんて思えたりして。
だいたい僕なんかを遊び相手にしたところで、そんなに面白い訳はないだろうし、大人の恋なんて僕はしたこともないし…
でも、本当に嬉しいなぁ。
だけど、やっぱり倉田さんが何考えてんのかさっぱり分かんないや。
倉田さんかぁ…そう言えば、この前のスキー合宿はほんとにいい思い出になったなぁ、なんていやなこともあったけど。
だって男の先輩達の中には、何だか僕をコバカにしているようでも邪魔者扱いにしているようでも、なんとなく僕はあまりにも軽く見られてるようでもあったし。それを顔や言葉や態度のふしぶしやらに、露骨に根っから嫌みにあらわに表に出すもんだから。いくらなんでも僕にだって嫌に思える時があった。それが普通にしている時でも面と向かうと吐き気さえもよおす位になることもあって。
例えば、僕は板をはくのが初めてのことだったんだけど、あっ、僕は大学に入ってからスキーを始めることになったから。あっ、でも、それは、本当にはスキーを始めるってことになったっていう訳じゃなくて、倉田さんに、
「あたしね、スキー合宿の最中に誕生日を迎えるんだけど、栗山くん、合宿に来てくれる?」
って言われたんで、僕はスキーとか、あと、ディスコなんて所は絶対に行くもんか! って毛嫌いしてたんだけど、まぁ、スキーとディスコじゃあ全然違うもんかもしれないけど。でも、僕にはなんとなく漠然とではあっても、どっちも何だか、『軽ぅ〜い』なんてイメージがあって。僕はそういうのが大っ嫌いだったし、そういうのに流されてる、なんてのはもってのほかだと、この考えは決して断じて変えるつもりはない! 変えない! なんて頑強に思っていたし…。でも、倉田さんの誕生日に一緒にいられるんなら、と思って、それならば、と思って、それで、参加してもいいかなぁ、なんて思った訳で。だからスキーなんて…なんて思ってるうちに思いっ切り好きになってしまったんだけれど。
でも、最初の一日目の時なんかは、僕なんかにはろくすっぽ教えてもくれないで、先輩達は女の子達の前でただ格好をつけることばかりを、たぁ〜だ、そのことにばかり執心しているようで、躍起になっていた。
それから、どんどんどんどん上の方にさっさと行っちゃうし、それで僕は何度も何度も転んでは起き上がり、起き上がっては転んでしまい、なんてことをひたすらに繰り返しては繰り返し、何とか自己流で滑りながらも自分で覚えていくより他にはなくなっちゃった訳で。さらにただ一人僕に付き合って一緒に滑ってくれていた、同じ一年の柿沢にまで、
「お前と一緒に滑ってると、みんなと全然バラバラになっちまって、お前と二人でスキーに来てるみたいで、全然みんなと一緒に滑れないし、おめぇのせぇだよ」
なんてこと言われちゃって。
それが僕にはとっても悲しくて、ほんとに淋しかった。
けれども、負けるもんか負けるもんか、って自分で自分に鞭打ちながらも必死になって、何とか頑張って頑張って頑張り抜いて、それで、三泊四日の二日目三日目は一人で一生懸命になって、最終日の滑りの終わる頃には、僕が気持ちよく風を切っていると、緑のテカテカしたウェアに黒いサングラスタイプのゴーグルをした、すごぉ〜く『いい女』の人がいたもんだから、僕はその横を通り過ぎる時に、「よぉう、ねぇちゃん」ってふざけて声をかけてみたんだけど、そしたら、その、緑のテカテカ『いいおねぇさん』はふり返ると、顔をほころばして黒いグラサンをとっ払り、「何だよぉ」ってツッパッタ感じの声を出すもんだから、僕もおかしくなって笑んじゃって。それで僕が追い越して行きながらにずっと目を離さないでいると、その、『いいねぇちゃん』はすがすがしくて晴れ晴れとした、いい顔をして見送ってくれた。
ところで、その緑のテカテカ黒いグラサン『いいねぇちゃん』って、誰のことだと思う?
僕が、ナンパでもしてみようか、なんて思ったんだなんて思う?
アハハッ、勿論、倉田さんのことだよ。なんて素晴らしいんだろう、この白銀の世界の中で、なんてね。
それから、『倉田さんの誕生日』の日のアフタースキーの時にも、何だか変てこりんな、それでいて何とも解釈の仕様のない、でも、面白く思えて、胸に染み入るいい思い出がある。
その日の夜は、とにかく『倉田さんを皆で祝おう』ということになって、ほんとは僕達気の合う仲間だけで楽しみたかったんだけどぉ、僕はそんな風に思ってたんだけどぅ。まぁ、お祝いだから、ということで、みんながぁ、みんなの中にはぁ、何とそれを口実に、結局のところ、自分達が、ただ盛り上がりたい、と、とどのつまり、ふざけたい、はしゃぎたい、遊びたい、女の子達に近づきたい! なんていう大馬鹿野郎のとんでも分からず屋どもがしきり出しては、
「さぁ、ディスコだディスコだ」
なんてディスコに向かってさっさとずんずん歩き出して行ってしまって。
それで僕らはありあまる程のあまりの事の意外さに、驚きあきれてあっけにとられてしまっていたんだけれど、これ幸い、と、僕らだけで、どっかで楽しく時間を楽しもう、なんて、もう浮き浮きしちゃいながらにそんなことを思っていたところで、奴らは皆がついて来ないもんだからって、わざわざ来なきゃ、いーのにぃー、ひき返してきて。
それで、僕は怒りを覚えながらも、自分達がディスコに行きたいんなら、それでいいじゃん。行きたい奴らだけで勝手に行けば、いーのにぃー、なんて、僕の方も、ちょっとそれはないんじゃないの? なんてところを口には出さないでいたんだけど、それが正直なところだった訳で。
それから、道端でイドバタ会議かのごとくが、このくそ寒いってのに始まり出しては、なんだかんだと、やんややんやと、あれやこれやと、ああでもない、こうでもないと、それから、まだ、ああだこうだ、といった案配で、その途中で何度も何度も僕らは抜け出そうかともしたんだけど、奴らのうちの、奴、が、
「みんなで! みんなで一緒に楽しもう」
なんて調子のいいことを言い出しては、僕らをひきとめるもんだから、全くむかつくったらありゃしない! なんて、ただただむかむかむかむか胸くそ悪くてしょうがなくて。でも、黙ってたけど。勿論、むっとはしてたけど、むってたけど!
でも、僕は気をとり直しながらも倉田さんに、
「倉田さんはどんな所がいいんですか? あっ、でも、こんな所じゃ、そんなに行き場もないでしょうけど」
なんてそれとなく話しかけてみたら、倉田さんは、
「別にあたしはどこでもいいんだけどなぁ。どんなとこがいいのかなぁ…」なんてちょっと考え込む体をなしながらも、そんな時の倉田さんはつま先を地面に着かせたままで、かかとを打って鳴らすようにタンタンと。それで、ひざの屈伸を使って蹴り上げるようにしながらも、リズムをとってるみたいにして。で、顔はそっぽにして視線を走らせたかと思えば、ひねった首を、ふり子のようにはずみをつけてからこっちに向いて、ぽつぽつとした口調で、「栗山くんだったら、どんな所なら来てくれるの?」
なんてありがたきを言って下すって。それで僕は間髪も入れずに、
「それは、倉田さんが行きたい所に決まってるじゃないですかぁ〜。それはそうでしょう。だって倉田さんのためのことなんですから」
なんて言えてしまった。それも素直な気持ちだったからだと思う。でも、僕は、
「でも、ディスコなんて行きたくもないですけどね」
なんて厭味もつけ足してしまったんだけど。そしたら、倉田さんはその面を上向きにして、それでも大きなまなこの丸みは感じとれる位なんだけれど、分かる分かる、といった感じで二度三度うなずいてくれながら、その表情にはどことなくあたたかみがあり、また、はかなげでもあり、一見したところでは、倉田さんの機械的な顔立ちのよさからは浮かばないはずの、『やわらかみ』をかもしだしていた。それから、倉田さんはあごに片方の手をやり、人差し指だけは立たせて、それから、優しい声の出し方で、
「じゃあ、普通に飲めるっていうか、あっ、でも、お酒もあんまり飲めないんだっけ?」
なんてありがたきお心使いをして下すったもんだから、僕は感激しながらもあわてて、
「あっ、でも、僕、お酒はあんまり飲めなくてもそういう場が好きですから」なんて心にもなくないはずの正直を申し上げました。そしたら、
「じゃあ、軽く飲めるような所で、普通に話しのできるような所だったら、いいのね?」
なんて跳ねるように笑顔を見せてくれて。それは、いかにも表面に笑みが、にじみでてきたぁ、というようで、それが僕を大切に思ってくれているように感じられ、じぃ〜んとキュ〜ンとしてしまったのであります、僕は。それから、勿論、当然の助動詞として、
「はい」
とうなずきました。
ところが、倉田さんと僕とでこんなやりとりを交わしている(嬉しい!)間には、全体の総意として、本当は奴らのわがままとして、
「だってディスコじゃダメなら酒がなくっちゃ始まんねぇし、ってったって、ただ酒飲んでたって仕方ねぇだろう、なっ。じゃ、やっぱりディスコだ、ディスコだ、ディスコにしよう! なっ。えっ? ディスコじゃみんながついてこない? じゃあ、しょうがないからどうしよう」
なんて声が聞こえてきて、で、結局、
「カラオケカラオケ、そうだそうだ、カラオケにしよう」
なんてことになってしまったのだった。
全くぅ! 誰のための誰の誕生日だと思ってんだ! 全くぅ!
それでも、倉田さんが、
「カラオケ、好きだったっけ? カラオケもほんとはあんまり好きじゃなかったわよねぇ」
なんて、ようやく皆がぞろぞろと歩き出しているにもかかわらず、まだ立ち止まったままで僕に気を配って下すって、それで僕はもうどうでもよくて、倉田さんを祝えるなら、と思って、心から心底そう思えたんで、
「別にいいですよ。倉田さん、行きましょう」
なんて少しばかり気どってしまいました。でも、それが気分のいいものだったから何とも言えなくて…
さらに僕をときめかせてくれたのは、僕がゆっくりと歩を運び出すと、倉田さんがそれを確認するかのようにしてくれてから、小首をかしげながらに、僕を見つめてくれながらにして、それから、歩み出してくれたということだった。
その時、僕はこんな風に話しをしていると、倉田さん程の立派な大人の女の人が、何だかこんなことを言ったら失礼になるのかもしれないけれど、何だかとってもかわいらしい女の子のような気がしてきた。
何だか少し変わった感じに、ふんわりとしてやんわりとした、そんな印象がぼんやりと浮かんで、その時の倉田さんには女の人ではなくて、女の子の香りが漂っていた。
ところで、カラオケ屋では、奴らが、あの大バカ野郎どもがガンガン飲むは騒ぐは歌うは、なんてことになってしまったのだった。
倉田さんは、と言えば、皆の分のお酒を一生懸命になって、最初から最後まで作っては手渡し、手渡してはごちゃごちゃとした要望にいちいち応えてはまた作り、それから、それを配って、なんてことになってしまっていた。 僕はただただ腹が立つのみばかりだった。
腹わたが煮えくり返るは、煙草スパスパやってはもみ消して、もみ消しては火をつけて、なんて、それからまたスパスパスパスパとやっては、ちぎるようにして、灰皿にかなぐりつけるようにもみ消してぇ、なんてことを繰り返しながらに、誰ともしゃべる気になんかなれなかった。
ただ倉田さんが僕に話しかけてくれる時にだけは自然と愛想もよくなって応じてはいたんだけれど。
でも、いい加減にしろよなぁ! いつになったらこの状態が収まるんだ!なんて、ずっとふて腐りながら目ンタン切ってた僕は、腕組みをしたままでイライライライラとしながらも、ずっと野郎どものやりたい放題のやむことを待ち続け、いい加減にしろ! と苦り切った表情でいたんだけど、奴らはほんとのほんとに最後の最後まで調子に乗ったままであり続けるは、おまけに会計の時には、
「こんなに歌って騒げて飲めて、それでこれだけですむなんて、やっぱり、物価が安いからなのかなぁ」
なんて、マジな顔して感心しながらほざく奴までいて、馬鹿も程々にしろ!てめぇらだけで飲んで歌って騒いでて、それで、割り勘なら当たりめぇじゃねぇかぁー! なんて、いくら先輩だからって、その位のことは言い退けてやりたかった。言い放ってやりたかった。でも、できなかったけど。
それで、結局のところ、カラオケ屋では、そんなこんなで散々だったんだけど、それでも、僕は、一言、倉田さんに申し上げたかった、『お誕生日、おめでとうございます』って。
だから、帰り際に倉田さんが一人になったところを、スタスタと近寄って行き、すると、倉田さんの方でもこっちに向いてくれて。
そしたら、倉田さんと僕は互いに真向かいになってしまったのだった。僕はいく分か緊張気味だったんだけど、胸を張って、それから、精一杯に堂々としたつもりになって、
「倉田さん、
と、そこで一呼吸置いて、それから一礼しながら、
お誕生日、おめでとうございます」
と申し上げました。すると、僕のその動作に呼応してくれているように倉田さんもお辞儀をしてくれながら、
「ありがとうございます」
と。
それは何だか倉田さんと僕とでギッタンバッコンをしているようで。それから、倉田さんと僕とがまじまじと見つめ合うような格好になってしまったもんだから、それで、どちらからともなく思わず笑みをこぼしてしまって。それで、照れくさくて。だって何だか妙にあらたまってしまったかのようで、気恥ずかしくなってしまったから。
倉田さんは口許にやわらかく作った拳骨をあてながらに、嬉しそうにしていた。その微笑は、今にしてよくよく思い出してふり返ってみれば、少女のそれのあどけなさを面に浮かべてみせるそれだったような気がする。でも、その時の僕はそれとは気付かずにいた。
だから、僕は…
しばらくすると、倉田さん達が部屋に入って来て、花が咲いた。華やかに満開の桜が宴のそれを飾るように。それで、
「ようし、これで全員そろったからそろそろ始めようか」
なんて声が上がった。
倉田さんは辺りを見回すようにしながら、どこか空いてるところは空いてるところは、なんていう案配にきょろきょろしている様子だったんだけど、そのまま足の運びは一直線に僕の方に向かって来た。まぁ、僕が座り込んでるところは僕だけしかいなかったし、随分と空いてるスペースがまだまだ残ってたし、それでも倉田さんが僕の方に接近して来るということで僕はドキドキしてしまったのである。
倉田さんは僕の隣に、ここらでいいかなぁ、という感じで腰を下ろした。
それから、他の人達もずるずると倉田さんについて来たもんだからと、僕との間にまだ少しばかりの間があったんで、倉田さんは腰を浮かせて一杯々々につめて来て座り込んだ。その一部始終を見やっていた僕はそれで胸の高まりを感じた。そして、他人には気付かれないようにと視線を下に落としながらもふし目がちにチラチラと倉田さんを見ていた。
僕はこんなに側に倉田さんを感じて、それだけで胸が一杯になり、体がガチガチになっちゃって、身動きするのにも窮屈を覚える程だった。時折、肩と肩とが触れ合ったりすると、倉田さんの動きの加減で胴と胴とが、ぐにゅ〜、って触れてくっついたりすると、僕は倉田さんの弾力を感じて、『女』というものを意識してしまって、ますます窮屈を覚え、切ない思いに頭がボーッとしてしまうのだった。
そして、僕の目の中に跳び込んで来る倉田さんの横顔はとっても美しく、僕はその倉田さんの色つやに、その赤味を帯びてる奇麗なそれに見とれてしまっていたのだった。
それで僕は頭に来ていてしゃべるつもりはなかったはずのところが、しゃべることさえできないでいることになってしまったのである。
僕がこんな気でいるのを知ってか知らずか、倉田さんの方ではお菓子の袋を開けては適当にお皿に混ぜ合わせたりしながら配っていたり、文句一つ言わずに、例によって、お酒を作ってはちょこちょこせわしなくしていた。そして、その動作の繰り返しの間に、時折、僕の方に首をくねらせては大きなまばたきをしているかのようにしてチラチラと僕のことを観察しているようでもあった。そして、黙り込んで、この場の一切のことを黙殺しているかのごとき僕に気をかけてくれているようでもあった。
僕はただ胸が一杯なだけだったのに。僕はただ息苦しくてこらえ切れそうもなかっただけだったのに。僕はただ倉田さんをこんなに近くに感じて、胸の窮屈につぶれそうなだけだったのに。僕はただ一刻も早くこの場のやむのを逃げ出さんばかりに、と同時に、いつまでもできるだけ長くこの状態が続くのを、と、このときめきを感じていられるのを、と、こんなに側に倉田さんを感じていられるのを、と思っているだけだったのに…
そんな僕に宴もたけなわで気付かずにいたんだろうが、
「今日は、栗山、しゃべんねぇなぁ」
などと回りが声に出すようになった。その度に僕は「はぁ」と顔面を前に突き出すようにしながら、軽く頭を下げては曖昧で、返事にもならない生はんかなことを口にして、本当のところを返事にしないでいた。
すると、倉田さんはそんなことの何度目かの時に、それまでは飲み物や食べ物を渡してくれる度に「飲む?」とか「これ、どう?」なんていう具合に事務的なことしか交わしてなかったのに、それでも僕はそうやって時たま声をかけられたりすることだけで、心臓とその回りの毛細血管をギュッとつかまれ、握りしめられたような気分に胸がキュンとなって、しぃびぃれぇるぅ〜ん、それで思わず目をつむったりしてしまっていたんだけれども、倉田さんは、突然、僕の方に躯を思いっ切りねじって向いて、僕の上腕にそうっと手を。そして、その平が優しく僕の肌にそえられてあるままだから、その感触の、あったかくて、じんわりとした、えも言われぬ伝わりに胸の鼓動が、そのぬくもりが僕の意識を失わせてしまうように。そして、いったん合ってしまえば動きの加減で視線が外れそうになっても見つめあう格好になってしまっていて、と、ほんのちょっとの隙に僕が落ちてしまいそうなところで、僕の憧れの倉田さんは細い腕に少しばかりの力を込め、
「どうしたの!」
って見開いた。
僕は倉田さんの見開いた大きなまなこに水気のどんよりとして潤んでいる、それでいて、まじまじとした、何だかただ事では済まされないものを感じさせる瞳の輝くキラリにドキリとして、その普通ではない、ちょっと普段の時とは違う、その通常には見せないはずの真剣な面持ちに上気してほでった肌の赤らみに、優しく見守ってくれるかのような情気の溢れんばかりの色つやに、ボーッと見とれて、気を奪われてしまっていた。
僕は、その、やんわりとした薄い霧のベールに包まれているかのようでありながらも、それを透かして見える、情の熱を帯びて迫って来る面を今でも忘れない。
そして、その尋常ではなかった様を、その運命的な視線と視線の交差を、今以てして、その臨場感にあたたかみを感じない訳にはいかない。
その光景に辺りでは、あれっ! あれれぇ〜、という雰囲気が流れて、それと感じる人も中にはいるようだった。
それで僕は照れた。
それでも僕は倉田さんから目を離さないでいた。
原田さんは目を細めて顔を上向きにして、そして、その表面にはこわばったそれがそこに浮かんでいるようだった。
それが僕の視界にも入って来ていた。でも、原田さんに対して、どうだ! という一本勝ちを放ったような気にもなってはいたんだけれど、それよりも何よりも僕は倉田さんを見つめて見ていたかった。そして、僕はそうしたいからそうしていた。倉田さんを見つめていた。倉田さんを見ていた。それで満足だった、十分過ぎる位に。それで嬉しかった、ぴょんぴょんと。それで気持ちよかった、じんわりと。
その後でしばらくしてから、原田さんが「水割りにしようかなぁ」なんてぼそっと漏らして、それに気を使ってか、倉田さんが「作ろうか?」なんて返したもんだから、一同はどっとわいた。僕も興味本意に目を輝かせてしまった。この二人がしゃべるのはいったい、どの位ひさしぶりのことなんだろうか? なんてね。
倉田さんはいかにも、事務的に事務的に、という風を装っているかのようだったんだけれど、倉田さんから原田さんにへとグラスが手渡される時にはお互いが前後して這うようにして近寄り、ひょっとしたら手と手とが、或は、指先位は触れていたのかもしれない、なんてことが思い浮かぶと、僕も触りたい、なんて思ったりした。
倉田さんはそれが済んでしまうと何事もなかったかのように平然としている体をなそうかともしているようでもあったんだけど、この注目の中で内心は動乱さえしている位だったのかもしれない。
ところで、スキー合宿も無事に終わって、さぁ、帰りは、ということなんだけど、実は行きもそうだったんだけど、僕は奴と同じ車の中に入れられたもんだから、腹の虫がおさまらないなんてもんじゃなくて、とにかくおさまらなくて、奴がいるというだけのことで苦り切っては苦り切って、結局、最初から最後まで受け答えの返事以外には何もしゃべらないでいた。
九人乗りのボックス型のワゴン車の後部座席は荷物置き場にして、中部座席には倉田さんもいたんだけれど、それでも、奴が気安くも図々しくも甚だしくも、畜生の発情期かのように浮かれに浮かれやがったもんだから、畜生!
奴が強引にも訳分かってなくも、それが当たり前かのごとくの勘違いも程々にもなりゃしねぇ、とは分かってたけど、それでも倉田さんの隣で何とか調子を合わせようと、共通する話題を探り出そうとして盛り上がろうと、本当に何をどう間が違っているのか、何かにつけては、すり寄るはおおいかぶさろうとするは触ろうとするは、一人でおかしがって笑い転げて寄りかかろうとするは。全くぅ!
それでも倉田さん自身があまり相手にしている様子ではなかったんで、僕はまだ何とか我慢していられたのかもしれない。でも、途中のドライブインでご飯を食べてる時にも、僕は無愛想にぶ然としていて、それで倉田さんに、
「全然話さないし、何かあったの? どうして話しをしないの?」
って不思議そうに聞かれたもんだから、その時、ちょうど奴らが席を外していたということもあったんで、僕は素直に訳を話した。
倉田さんもなんとなくだいたいの見当はついていたのかな? それとなく察してはくれていてタイミングを見計らって尋ねてくれたのかもしれない。
倉田さんは「そう」とただ一言だけ添えて、それで後はあんまり深くは追及しようとはしなかった。
でも、それが突破口となったみたいで話しは弾むようになり、まだ食べ終わっていないのは倉田さんだけだったんだけど、僕らはお構いなしにもどういう訳でか汚い話しでワイワイと騒いでしまったのである。それで何度も何度も倉田さんに上目使いをされては、
「今、食事中なんだけど」
って釘をさされちゃって。でも、その盛り上がりは一向にやむ気配がなく、だって倉田さんだって口とは裏腹に顔をほころばせていたし、笑い声さえ上げていたんだから。
「今、食事中なんだけど」
と繰り返すその声色とその響きにはだんだんとそれ自体の持つ意味が失われ、倉田さんのその合間にはさむその言葉には次第々々にその場の雰囲気の潤滑油の流れさえも帯びるようになってきて、笑いを誘うバロメーターともなり、僕らには本当に楽しい一時を与えてくれるものとなった。
それはとても楽しい談笑だった。でも、談笑というにはちょっと騒ぎ過ぎたかもしれないけれど。それに少し品もなかったけれど。
で、僕らを乗せたワゴン車の組は新宿で解散ということになり、別れの際、倉田さんは家が近いからということで車を拾って、あとの残りは皆そこから電車で各自それぞれの方面にということになったんだけど、倉田さんの荷物を運ぶのを手伝って、その後は僕達とは反対側の道だったんだけど、僕は倉田さんにじっと、まばたきもしない位にじっと、目を向けていた。
運転手さんがギヤを入れハンドルを回しながら車を走らせようとして、倉田さんが運び出されそうになった時、倉田さんは瞬間的にこっちにふり返ると、あわてて運転手さんの肩を二度三度二度三度パタパタタンタンタンとたたき、運転手さんと二言三言交えてから相槌を打った。運転手さんはハンドルを握ったまま車を停止させ、それから訳が分かったというようにうなずいてから微動だにしないでいた。
走り出そうとする車がエンストでもしたかのように、細切れに軽くバウンドするみたいにして、前方に走り出そうとしては止まりかけたりを繰り返しながらに停車したもんだから、倉田さんはつんのめりそうになっていた。
それから、倉田さんは改めてこっちに向いた。ソバージュの髪が回転する程に勢いよくふり返った。
倉田さんは女の子がよくそうするようにして手をふっていた。あごとほおの間の辺りで指を立てるようにして手の平を開き、左右に素早く動かせながら。
倉田さんは目を輝かせていた。キラキラと輝かせていた。
それから、本当に嬉しそうにしていた。長い目つ毛がそり返る程に大きな瞳から夜の闇に星が飾られるように、このまま時間が終わってしまう程に、いつまでもいつまでもそうしていた。
そして、僕も嬉しかった。それは顔にあふれ出ていたに違いない。だって本当に嬉しかったんだから。
それで、僕もずっとずっと、ずぅ〜っと倉田さんを見つめていた。このまま時間がぼんやりしてしまう程に、一瞬たりとも、こんなに素敵な倉田さんから目を離さないように、と、ずっとずっと、酔ひしれんばかりに、ずぅ〜っと倉田さんを見つめていた。だって本当にいつまでもいつまでも倉田さんは嬉しそうにしていたんだから。輝いていたんだから。 そして、辺り一面に広がりが与えられ、さらに広がりをみせていくように華やかに華やいで花の園に置かれたかのように。
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