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今思えば笑っちゃう
僕は電話をかけられない男だった。
受話器を目の前にすると、かしこまってしまって、知らず知らずのうちにぼんやりと
電話を眺めていることさえあった。
時には正座をしていることもあった。
意を決して、受話器を持ち上げたところで手を離してしまう。
そんな時でも用を足したのと同じように電話はチーンと鳴る。
その音が静かな部屋に緊張感を与え、正座している僕は恥ずかしくなってしまう。
そんなことを繰り返していると、相手には自分の意志が伝わらないまま、
自分一人で恋してしまう。
そんな毎日を繰り返していると、自分一人で本気になってしまう。
そんなことだから、馬鹿ばかりしてしまうようになる。
いつも同じようなメンバーで、いつも同じような会話をして、
そのうち、気心の知れたメンバーでしか通用しないギャグや言葉が生まれる。
そうなると、他の人と話しをするのが大変になる。
いつも使っているギャグや言葉は通用しない訳だし、
いちいち説明するのが面倒だから、けれども、それを使わないのも、又、
面倒だから、結局はぎこちない会話になってしまう。
だから、ますますいつもと同じメンバーといることになる。
そして、いつも同じようなことで笑い、同じようなギャグやセリフをまくしたて、
そのうち、管を巻くだけのものになってしまうのである。
こんな非建設的で退廃的な馬鹿をやっていると、
電話をかけたいのにかけられない自分の心の中では、
その子のことでいっぱいになってしまっている。
この時点では、実は、既に重症なのだが、それでも一向に電話をかけられない。
そんなことだから、虫のいい希望的観測ばかり考えるようになる。
たとえば、向こうの方から電話がかかってこないかなぁ〜なんて考えたりする。
一向にかかってこない。いつまで経ってもかかってこない。決して、かかってこない。
絶対にかかってこない。
やっぱりこっちからかけてみようかと思って、受話器の前に座り込む。
そこで、又、止まってしまう。体が動かなくなってしまう。
プッシュボタンを押してるうちに止めてしまうこともある。
時には、いいところまでいって、やっぱり怖くて受話器を置いてしまったり。
とにかく、一大事なのである。
そして、ついにダイヤルすることができて、ワンコール、ツーコール、
プルルルル、プルルルルと鳴ったところで、心臓が張り裂けそうになって、
慌てて電話を切ってしまう。
後年になって、こんなことをひとに話したりすると、こっちは重大な告白のごとく、
打ち明けてるつもりだが、返ってくる言葉は、
「それって、いたずら電話だよ」
だってさ。思わず笑われてしまう。こっちも連られて失笑してしまう。
今の若い人は、いいなぁ〜堂々と積極的だし。僕らには考えられないなぁ。羨ましい!
僕らの頃には携帯もなかったし。
そして、私は、その頃の事を思い出して、切なくなってしまう。
いたずら電話! それが私の恋だった。
Gift
気の合ったメンバーで談笑することは楽しい。
けれども、多少、大人数となると、話しは違ってくる。
つまり、気の合ったメンバーばかりがそろうとは限らなくなるし、
話題が二つか三つかに別れてしまい、それにより、
メンバーが幾つかに割れてしまうからである。
そうなると、なんだか落ち着かなくなり、せわしなくもなり、
談笑は成立しない。
要するに、談笑とは程良い人数で気の合ったメンバーがそろうからこそ
楽しい。
又、そうでなければ成立しない。
私は「談笑」が大好きで、が、しかし、談笑を工作することができなかった。
即ち、メンバーをそろえるという、いわゆる「企画」ができなかったのである。
だから、僕は皆でどっかで食事しよう、とか、お茶しよう、とか、
ある程度の人数がそろって、そういうことになった時にお祈りするのです。
たとえば、カバンだけを適当な席に置いて、さっさとトイレに行ってしまうのである。
そして、お祈りをする。大いなる希望を抱いてトイレから出てくると、
すぐに視線を向ける。そんな時、嬉しかったりする。
これは他力本願だが、なかなか有効な策だった。
この他力本願は知らず知らずのうちに、毎回々々そうすることにしていた。
この味を知ってしまってからは、この方法ばかりを選んでいた。
実を言うと、それ以前の私は、どこに座ろうかなぁ、と、うだうだしているうちに
残念になることが多かったので、それで、お祈りするようになったのです。
それからというもの、この見えざる神の手は僕に計らいをしてくれた。
そして、僕はこの毎回のように起こる「偶然」をどれだけ喜んでいたことだったろうか!
時には、僕のカバンの位置がずれていたり、キープしてくれていたりすることさえあった。
「毎回々々その偶然を無邪気に喜んでいたんだ。本とにお祈りして良かったと
思ってたんだ。でも、それって、もしかして、偶然じゃなかったの?」
「当たり前でしょ」
「あぁ、そうなんだぁ。わざとだったんだぁ」
「わざとに決まってるでしょ」
僕はその当時の「偶然」の真相を知って、余計に嬉しかった。
絶対主義
僕は幼稚園のとき王様だった。
今でもここに1枚の写真が残っている。
ちゃんとした記念撮影の写真なのに僕はジャングルジムの1番上で偉そうにしていて、2番目の段には僕の子分の中でも頼りにしていて仲も良かった、二人の子分をはべらせ、その横に一人の女の子を立たせていた。
二人の子分のうちの一人は、ケンカがめっぽう強くて、実は僕も負けたことのあるくらい強い奴だった。もう一人の子分は、スポーツマンで僕はその爽やかさが好きだった。
そして女の子。
この子は、僕の大のお気に入りで、だったら僕の隣りに立たせればいいのに僕は一段下の段に立たせていた。実際、この記念撮影をする時、僕はいちいちお前はここ、お前はそこ、というようにある程度上の方に立たせる奴には、いちいち指図をして僕は号令をかけた。はむかう奴など誰もいなかった。僕は男だろうと女だろうと力づくで言う事を聞かせていた。でも、子分は仲のいい友達でもあり序列をつけた女の子達とも仲良くしていた。
僕は実際、王様だった。
小学校に入学しても僕はケンカばかりしていて、目立つくらいにいばっていた奴は、みんな、ぶちのめした。
僕は勉強ができて、スポーツも万能で女の子にも人気があった。
中には、
「ねえ、ねえ、栗山君、クラスの女の子のうち、半分くらいは、栗山君のことが好きだって。」
と、教えてくれる女の子もいた。けれども、僕は小学校に入った頃からは、女の子と話ができないようになってしまった。
幼稚園の時には、今日は、この子、明日は、あの子、と、いった具合に順番に楽しく、いろんな女の子と遊んでいたのに。
それが、だんだんと、無邪気に話などできなくなってしまった。そして、だんだんと僕の人気は落ちていった。
そして、ぶちのめしていた男達も、だんだんと僕の言うことを聞かなくなり、やがては、グループを作るようになり、いつの間にか、僕は一人になってしまった。
そして、小学校五年の時、僕をやっかいもの扱いしていた担任の先生が、僕をあわれんで、こんなことまで言うようになった。
「栗山君、力だけでは誰もついてきません。だんだん、年齢が上がっていくにつれて、皆、力には屈しなくなっていきます。栗山君、このままでいいのですか?」
と。
それでも、僕は、ケンカをやめなかった。
そして、ついに、来るべき時が来た。僕は、束になってかかってくる以前の子分達に、殴っても蹴飛ばしても次から次へとかかってくる人数の前に屈してしまった。僕にはまだ余力があったが、その人数の多さに僕は無駄な抵抗はやめた。
それは、怖かったからじゃない。僕は観念したんだ。こんなにも多くの人間が僕を嫌っているのかと思うと、僕は悲しくて座り込んでしまった。
王様は、倒れた。
かんべくん
今でもかんべくんのことをよく思い出す。彼だったらこんな時 どういう言い方をするだろうか。未だに 彼の評価は 僕にとっては、重きがあり、だから、彼と付き合いが頻繁だっ頃には、彼に対する意識は尋常ではなかった。初めて 彼の文章を読んだ時、彼のパンチのあるビートの効いた一文一文に驚いた。正直に言えば、嫉妬さえした。既に、そのできばえは素晴らしかったが、そこからあふれている潜在能力は並外れていた。
彼は何を思ったのか、よく僕に話しかけてきた。そして、僕のことや僕の文章のことを口にしたり質問したりしたり評論したりした。この彼の投げかけに僕は無関心なふりをした。この投げかけに対してヒステリックになりそうな自分を隠して平静をよそおう真似をした。おおむね僕の見せかけは、成功したようであり彼は納得しない様子でいた。彼の欲求不満は、酒を飲むと爆発した。僕は大人のふりをして、そんなかんべくんにいつもいつもなだめるようにさとすように、そんな儀礼的振る舞いで応じた。周りは、僕を指示し、かんべくんを非難した。そして、彼の酒癖の悪さはますますひどくなっていった。僕は言葉を選びながら丁重に彼を非難した。そんな狡猾はこれまたみんなから指示されて、やがて、かんべくんの気力は失せていった。僕に対する接し方も弱まっていた。そして、かんべくんの文章はどんどん駄目になっていった。ひとの文章をあれこれと評論する奴も多かったが、次第に彼の文章については、誰も語らなくなった。時折、かんべくんは、僕に意見を求めたりした。僕は、「人の文章をあれこと言える程、僕は評論は得意ではない。」というような冷たい台詞を差し上げ、相変わらず、かんべくんに対しては無関心の振りを通した。それでも、彼は何かのきっかけを見つけては、自分の文章についての評論を僕に求めた。実際、彼の文章はひどくつまらなく、このまま彼の才能は枯れてしまうかと思った。それを彼も感じていたのかもしれない。だから、彼が僕に意見を求める時、かんべくんは泣きそうな声を出すことがあった。それでも、僕は、沈着冷静を装った。僕は見せかけの善人で彼の才能が開花しないことを喜ぶはずだった。そのくらい僕は彼の才能をねたみ、そして、驚異に感じていたのだった。言い訳をするようだが、こんなに汚い自分を知ったのは生まれて初めてだった。彼の才能は善人を悪人に変えてしまうくらい素晴らしかった。
けれども、この頃から僕の気持ちに変化が起こった。かんべくんのこの才能を本当に腐らせてしまっていいのだろうか?これだけの才能がこのまま埋もれてしまっていいのだろうか?無関心を装いながら、実は僕は彼の文章に注目していた。そして、ついに花開く時がきた。
その文章は僕がショッキングなまでの失恋をした時のものだった。
彼の文章が僕をとりあげたものだとすぐに分かった。満開だった。僕は何度も何度も読み返した。そして、僕はその文章の出来映えに見事だと、うならざるを得ないとともに、僕の心は癒された。嬉しかった。
僕はこれまでの文章を順をおって読んでみた。
彼の才能は低迷している間にも徐々に開花し続けていたことを知った。これまでそれに気づかなかった僕は自分を恥じた。
合評会の時にもめったに発言しない僕はかんべくんをほめまくった。そして、せっかくの才能が開花したことにおめでとうの言葉をそえた。
かんべくんはとても嬉しそうだった。今でも僕はその文章をたまに読んだりする。又、彼だったら、どう言うかな?と、思ったりしながら行動している。
かんべくんは天才だ。そして、僕はかんべくんが好きだった。 |
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