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気掛かりな事
朝目が覚めて、体が疲れている時がある。まだ睡眠が不足しているというか、もっと寝ていたいというか、全く寝た意味がないというか、非常に腹立たしいというか。客観的には睡眠不足であり、素直に言えば、まだ寝ていたい、であり、後は勢いである。こんな時、取り敢えず、起きる気にはならないから、そのままにしている。
又、朝になって意識がハッキリして来出して、困ったことに出くわす時もある。笑わないで欲しいのだが、体の痛いのが分かりそうになるもんで、気付かぬ振りをして、取り敢えず、顰面(しかめっつら)をしてじっとしている。で、誰も好き好んで制してはくれないから、時間ばっかり経って、そのうち、頬の肉が引き攣ってくる。緩めると、歪な笑顔になる。自分でもこんな顔、見たくない。他様はもっと見たくない。何故って、聞かないで欲しい。そうに決まってる。
口が細長くなっちまう、引っ張れちゃう、頬っぺたに食い込んじゃう。
どんな風にして寝ていたものか、寝違えたものか、それ程寝相が悪かったろうか。
眉を寄せて、目を吊り上げて、こめかみをピクピクさせて、一応寝ている体裁だけは整えている積もりだが、腕迄組んで、掛け布団を半ぺら程捲(めく)り上げて鬼相を形取っている。
そのうち、本当にむっとして来る。で、時間ばかり経っちゃう。
こんな姿、家内はどう思うだろうか。
私だったら、腹を抱えて大笑いするところだが、家内がそんな事したら、私が許すという訳ではない。随分身勝手なものの言い分とお思いになるやもしれぬ。だからといって言い訳はしない。それが男の潔(いさぎよ)さと、とうに腹を括(くく)ってる。
御分かりになられたろうか。
誰だって自分の奥さんがそんなだったら許したくもあるまい。又、そんなになって欲しくはあるまい。幸い、うちのはそんな心配なんぞ必要ないが、まぁ、当分大丈夫かと思う。その心配で気掛かりのひとは、そうはならぬようにひとつお祈りでもなさいな。私は知らない。あと、その心配が手遅れの人は残念でした、と言うより他に言い用があるまい。私は知らない。だからといって、私の家内がそれを感じたら、私が知らない訳でない。
ところで、今を思えば、である。つまるところ、何故体が痛いのだろうか、である。もはや、歪な顔は、どうでも宜しい。だが、決して諦めた訳ではない。これだけは、声を大にせずとも、口を『へ』にして言って置く。何故『屁』じゃなくて、であるが、それは後で説明するとして、何故『へ』なのか、であるが、への字の口も歪の顔なら道理に適う。で、早速『屁』を説明するが、無論、口から放つ種のものではないからであり、広辞苑によれば、『腸の内容物の発酵によって発生したガスが肛門から排出されるもの。○奈良。ガス。』とあるのである。で、これにより、声を大なり、なり、小なり、なりと、とやかく言うのもお門違いだ、と言える、のである、と思っても良いような気がする。そりゃあ、時には口から言葉だけでなく汚いものを出す人もいるだろうし、吐く息が臭い人もいるだろうけど、そんなもの一々勘定に入れてたら、切りがないから入れない。
いきなり変な話になったが、別に私の意図するところではないので知ったこっちゃない。だからといって、このまま、放って置くと、ここで話が終わっちゃうから、終わりにしない。
で、仕方ないからその続きで説明しますと、歪な顔のことですけど、決して宜しい訳ではないのですよ、勿論。だからといって、何も、今、この状況の下で、思慮に苦慮を重ねることもあるまいし、幸いに沈着にして冷静な身に候えば、これの後先が自ずと働く。自明の分析にて弁(わきま)えん。
で、更にその続きで、何故体が痛いのか、であるが、というよりもところで、自分の体の痛いのを自分で気付かぬ振りをするのなぞ、いづれにしろ、大概にしろ、勝手にしろ、好い加減にしなければいかんとも思うが、それでは世の中全て丸く収まってしまう。だからといって、丸く収まってしまえばそれに越したことはないが、実際はそうでもなく、私は勿論そうならそれで良いと思うが、何かそれではつまらない、みたいに聞こえたかもしれないので、別に言い分けをしている訳ではない。で、体が痛いのは、と、色々と頭を働かせて、えいっ、糞っ!( 又、汚い事を言ってしまったが)今度くそ、じゃなくて、こそ、と念を込めたところで、眠気に敵うはずもないので、思考が消されて行くのが関の山である、と言う訳である。体がだるいと脳の働きが鈍って、起きても起きたくないが、頭を働かすと一緒に体も疲れるから、これでは手に負えない。
従って、今のところ鬼は体裁を施す最中にある。それともう一つ厄介なことが起きて来た。腹部からの命令で、立て、立て、と騒い。でも、体が言うことを利かない。私としても、板挟みになってどちらの言うことを聞いて好いやら、思案も面倒でどうにもならない。それで、当分動かぬことにした、否、していると言った方が宜しい。何だか、私がとっても面倒臭がり屋のように聞こえるようで、忍びないから説明するが、何故私が動かぬのかと問えば、それはつまり体は脳みそに対してある一定の影響力を持っているからであり、私としてもこの領分は侵すことが出来ないのであるからである。それに、御中とは体の一部なのだから、御中にとって体は主人である。それを差し置いて、私の方に直接ものを申してくるなど、何とずうずうしい奴かと思う。主人の許可を得て初めて私とのアポイントメントが取れるというものである。ところが、実際は主人がだるいと言っておるにもかかわらず、それに従わないとは何て我儘な奴だ、とも思う。土台、私が体の一部一部と一々話をしていては、私の方ですることが無くなってしまうではないか。主人も主人である。もっとしっかりしなくてはいけない。折角私の方で体とは対等に接しようとしているのに、干渉せざるを得なくなってしまう。本当に朝から厄介なことだ。ひとつ、体の方を鍛えてやらねばならぬ。又ひとつ面倒が増えた。そうはいっても今度は気持ちの方で言うことを聞くまい。体の都合で、こう何度も一々指図されては、確かに気持ちの方でもいい迷惑だろう。
ところで私は今寝ている訳で、心も体も互いに仲良くやって欲しいのだが、色々あっちゃこっちゃ考えず、寝る時は寝るに越したことはない。ちょっと冷めたものの言い方だが、そうでもしないと、そういう事はしっかり割り切っていかないと長い人生続きはしないかと思う。確かに冷めているかもしれないが、熱くなって寝るのは又この次にすればいい。
御分かりだろうか。短い人生楽しく生きたい、まず、それが何よりかと思う。
しばらく、のんびり横になってたいが、そうそうそうもばかりしていられない。やはり、時間的制約というものが付いて回るもんで、体の痛いは痛いがいつまでもそうしてる訳にも行くまいて、家内も家内で、どうしたもので、なり何なり問えば良いものを、朝から飯なんぞ拵(こしら)えるもんで、いつもああして取り澄ますばかりで、そうかといって、用を頼めば、遠慮勝にニコリと控え目に頭を垂れて、何を考えているやら、器量は良いわ働くわ、文句の付け様もない。カタカタトントン、良い匂いだぁ、さぁ起きよう。その前に、トイレにでも行こう。
「何か、良い匂いがするようだが、何かね。」
と火の沸いたコンロに乗った鍋を突っ突くなり、引っ掻き回すというか、掻き雑ぜるというかなりしてる、エプロン姿の家内、というか、もっと何か他に旨い言い方も有りそうなもんだが、巧い具合に思い付かないから仕様がない。何かこんな表現では私の家内があたかも野獣かのごとく聞こえてしまって、何というか、まぁ、そのぅ、まぁ、何と言おぅかぁ、まぁ、そんなことないですよ、なんて言うと惚気になってしまうから、そんなこと言わない。
で、そんな、朝の家内の後ろに回って、あれやこれや、首を覗き込んでみたところで相手にされない。何度か自分の顎が家内の肩先に突々かれたり、突々いたりしているうちに、もう、こんなことする年頃ではない、と思った。止むを得ず、腰を下ろして新聞を広げテレビを見る。直様、テレビに向いた目を伏せて、御膳の上の引っ繰り返った茶碗を眺む。それが何やら貝のようで、妙に物静かにしている。それで、脇に箸が添えてあって、それが、又、随分行儀善くしている。気を引かれて、新聞をかっぽった。だからといって、余った両の手に箸をつかんで太鼓叩きなんかしない。横たわる新聞紙がささくれて、途中の何枚かが丸まってる。丁度めくれた部分に週刊誌か何かの広告があって、見出しの最初の二文字三文字が見えなくて、急いでめくり上げた。
「仕度出来ましたけど。」
新聞広告の三面記事を、小さい字がよく読み取れなかったりして、それが知りたくて小銭を手にしてサンダルを突っ掛けたりもするが、真剣になってるうちに、物々しく、口元を伸ばしたりなぞして、政治面経済面を開いてたりもする。そんな時、何故かしら羽搏いた鶴のようにして、新聞を高く掲げて、紙面の角を揺すらせてたりする。学者になったような気分は気分だが、だからといって、大したことは口から出たりしない。
「いかん、これではいかん。どうも、これではなって ない。」
「仕度、出来ましたけど。」
そう言えば、幾分か経ったとあって、相変わらず行儀善くしている、太鼓叩きのステッキの隣りに、仰向けになった貝が誇らしげに構えて、内の米粒が柔らかそうにしている。随分しっとりしているようだ。赤茶色した貝の中では、わかめがたゆたっていて、きらびやかである。汁は汁で上気している。
「朝は良い、やっぱり、
とここまで言葉をつないで、間を取ったか、言葉を選んでいるかしているうちに、やれ面倒だ、という訳ではなかろうが、といっても自分のことだが、腹の底から、うん、と発っして仕舞にしてしまった。
「何か今日の朝御飯はおいしそうだが、そんな気がす る。」
「そうでしょうか。」
「そうじゃないの。」
「いつもと一緒です。」
「そうかぁ、じゃあ、気持ちの問題かなっ。」
「そうでしょうかぁ。」
「そうかもしれない。」
で、私は何も相撲取りになった積もりではないが、二度三度、お払いみたいなことをして、手を付けました。 「そう言えば、今日は体が痛くて困っている。どうし たものか、よく分からない。」
「どうしたものでしょうねぇ。」
「うん、それだ。どうしたもんだろうか。」
「それにしても、あなたはいつもそんなことばかりおっ しゃって、私にはちっともわかりません。」
「本当に分からぬものだ。」
一通り食事も済ませて、まだ二三残っているが、それで、とにかく、又、新聞をぼそぼそやり出した。読んでる途中で残りを抓(つま)もうとして、すっかり綺麗になった膳の上に目をパチクリさせることもあり、そんな時はコンビネ−ションの悪さに気分も悪いが、今日は大丈夫だ。それでほっとした。
それにしても今日は本当にどういう訳だか何だか体がどうもおかしい。
こんな時何をやっても良いこと無さそうに思えるから、取り敢えず、横になるに限る。
ところで、家内だが、体の痛いの序(ついで)で何分話の組み方に至らぬばかりか、味の悪さに罰も悪くてほとほと呆れ返るが、思案に暮れて、思いあぐねた成れの果てと諦めて聞いて欲しい。
で、家内だが、どうもおかしい。
どうしたものか、妙に思える。何かあったもんか、良いこと、嫌なこと、なんでもないこと。
良いことなら、それで構わないが、私の知らない所でなら、それは構うから良くない。嫌なことなら、怒ればいいものを、それも困るが、目線を落とした、取り澄まし顔は美しい。が、それも困る。なんでもないことなら、それで別段どうでもないが、それが障るようなら、厄介だ。
さて、どうしたものか。 |
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