|
奇妙なお話し
帰りの電車で座れず仕舞、吊り革を持ちかえたり、引っ張ったり、隣の背広が寄り掛かって来たり。右隣を避けたら、左隣の、赤らめた顔が不躾に構えて居たり。
そんな時、ひとりセーラー服が立って居ると、少しは救われた気にもなり、ついつい目もいってしまうものである。単にスケベだからではない。誰だって、よれよれの背広と目を合わせたくないから。
セーラー服は、時折、ポニーテールにしている、文庫本に目を通していたりもする、降りる迄ずっと、広告に目をやっていたり。もう何遍もなぞったろうに、首は疲れないのだろうか。いけない、いけない、あんまりジロジロやるもんだから、セーラー服まで顔を赤らめてしまった。
よれよれの背広が襟を伸ばす。
「飲んだなあ、明日休みかな。」
「昨日が休みだ」。
もう一人の背広が両の手の平で顔をピシャリ。
電車の中では、それぞれのひとが様々な事をやっているが、大概は目のやり場に困ってつむってしまうという意見もある、セーラー服が降りてしまったりすると、急に隣の酒気が強く感じられたり。暇を意識すると碌なことにならない。
男が窓ガラスに写った自分とその回りに気を揉んでいる。感じる気配を目で追っている。
トンネルを抜けて、駅が近付いて来る。自分が見えない、見えるのはホームに並ぶひとの群れ。
ドアが開いて群れが注入される。電車が走り出すと、男とその回りが外の世界に移行する。
隣の女が何か話し掛けている。自分は何食わぬ顔をしている、腕を組んでいる。女は食い入るかのごとく、覗き込んでいる。何を言っているのだろう。随分気が入っているようだ。真面目だなあ、もう少し楽にすれば良いのに。男は目を閉じてみせた。電車の、ガタン、ゴトン、がなかなか良いリズムでもって。
女は目を丸くさせた。ひとが話をしているっていうのに、こっちを向くぐらいの事してくれても良いんじゃない。そうでないなら、その都度でなくても間に一遍ぐらい頷いてくれるとか。
「ねぇ。」
思い切って少しばかり強く、肩を揺すってやった。
ガタンゴトンで気持ち良さそうにすやすやしてるのもよく見掛ける。その印象は、顔面を周知にさらしている程、そうであり、大口でなくとも歪にでも開いていれば、さらに強まる。しかし、それは、張本人の側に立って見れば、の話であって、同じ立場で同じ状況にある者が、そういう印象を抱く場合が多いので、それは好意的に見れば、ということであり、普通に見れば、ただのボケということになる。ましてや、吊り革を持ちかえたり、引っ張ったりしてる者の身になっては、大きなお世話なのである。
その点、髪の長いのが下を向いているのは、一見、窮屈そうであるが、実は、賢明であると言える。無論、それが男ならそれ以前の問題である。
こんな話を聞いたことないだろうか。ラッシュアワーともなると、見ず知らずを隣合わせにして大量の人間がいち時に移動する、それでよく何事も起こらないものだ、などと口にする、他所様からいらっしゃったお偉いさんのお話を。日曜日の朝ともなると、そのての番組が幾つかあり、朝のうちに不意に目など覚めてしまうと出会(くわ)すもので、パンにバターを塗ったかと思えば、眠い目を擦って、成程、よくもそんな事に迄お気付きになった、と背広の蛹(さなぎ)がパンを角からくわえたまま、髪は逆立ちにけり、(しばし時ありて)、うっ、カーテンを閉めよう、太陽が眩しい。
混み入った電車の中で、何事も起こらぬか、はたまた否か、それはさておき、わたくしめがごとき、精神は、いざ、知らず、肉体はごく貧弱なもので、霜枯れ時は、吐く息白いは、胃にくるは、間に合うか、間に合うまい、改札走り抜けるは、階段三つ飛ばすは、ヘモグロビン足りないは、ギッシリぎゅうぎゅう詰めでは、こんな時に限って、横にフットボーラーみたいのが突っ立ってて、こいつはいけねぇって、逆のお隣さん、これならいい勝負だって、押すの押されるの、振り向きやがって、ラガーマンみてぇな顔してやがったぁ、さあ、大変、最初っからこっち向いてろよなぁ、汗掻く汗掻く、それはそれは、とてもとても、外は霜、車内はパック、寒いの、暑いの、今日の、現代社会が生み出した、異常気象と何かしら関係でもあるのだろうか、そもそも、異常気象とは、そもそも、よく分からない。
背広はまだ良い。ハイヒールも何かと苦労が絶えないようで、気が気でないやらとか、中には、そのくせ、平然と構えてる古強者(ハイミスよ、あっ、いけね!)も居るとか、平然と見送る馬鹿は居ない、らしい、そんな話も耳にするが、まして、海千山千のヒールでさえさあらんを、革靴の、蝶蝶結びリボン翻る、ポニーテールのセーラー服などは、この時を、とばかり背水の陣を敷いて、顔面蒼白、立っている。もう必死、急ブレーキ気を付けられたし。
それはさておき、みんなよく頑張っている。 |
|