シマちゃんの思い出


シマちゃんは十八歳。今頃はもう奈良の国立大学に通ってる頃だと思う。
女の癖に数学が得意で、家庭科が苦手の癖に家政科に合格したそうだ。
高校に入学して、まだ誰がどんな奴かも分からないうちに一学期が終わり、
その最後の数学の授業で担当教師が「皆さん、入学したばかりで勉強の
方にあまり気が向いていないようです。少し点を辛くしたこともありますが、
通知表で五はただひとりです。それも女の子で奇妙な話しです。」と口に
した。ガリ勉の高田−−無論男−−に違いないと皆の目線が集中した
のも束の間、『女の子』と耳にして「ええ!」と教室中が騒ぎ立てた。
女の子でも度の強い眼鏡をしてる娘が結構居て、その時、僕は、そのうちの
誰かだと思った。
僕が最初にシマちゃんを目にしたのは放課後の校庭だった。同じクラスなのに
少し変だけと、記憶に残っているのはやっぱりその時で、それ程速くなかったけれど、
十メートルダッシュを何本も繰り返していた。何だか可哀相で目を離さないでいた。
息を弾ませながら、又、スタートラインに向かう、目の前を通り過ぎる、小学校
五・六年生の男の子のような清々しさ、髪の生え際が汗で湿っていて、顔は少し
赤らんでいる。上体は苦しそうに伸び縮みし、息使いも少し急だけど、足の運びは
軽やかで、「ふう」と声を出して大きく深呼吸。でもやっぱり女の子でお尻がかわいらしく
少し大きめ。注意を牽かれたら、ジャージのネームに『島本』とあった。
それ以前に僕が通っていた中学校は陸上では常に県内のトップクラスで、『十メートル
ダッシュ』には色々と思い当たることがある。県大会や国体でさえも華やいでみせるのも
さることながら、その姿を毎日目に出来るということは、それはそれでそれに越したことは
なく、他のクラブの連中も突っ立って目だけ吸い寄せられることもしばしばあって、とにかく
図抜けていた。春の県大会と秋の県大会とで百メートル競走の優勝者が交互に二人も
出て、彼らが一線に並び立ちはだかる『十メートルダッシュ』には、さながらイースター島の
なんとかと言う、お化け角張り顔男岩のような迫力があった。
でも、図抜けているからこそよく目を見張らしてみると気に入らないことも多々あるもので、
例えば、トラックを『角張り顔男』が駆け巡る脇で一人汗をかいて砲丸を投げてた娘がいて、
確か最初の一月ぐらいは『十メートルダッシュ』ばかりをしていたはずだったのに、砲丸は
何の変哲もなく落ちて、悲しいことに、それでも砲丸は重いからずうずうしく地面に居直る
訳で、別にそういう砲丸が気に入らない訳じゃないけれど、それでその娘はその後どうするかと
いうと、拾い上げて、又、投げて、フォームは見事なんだけれど、あっ、でもけり足がもう少し
高く跳ねれば、なんて、砲丸は砲丸で意気地がないもんで跳びゃあしねぇし、そうかというと、
幅を跳ぶ奴が居て、自分なりに完成させてるって感じは感じなんだけれど、滞空時間はごく
僅かでもって、まあ、でも、たとえそれがカール・ルイスであっても時間ていう程の時間、跳ん
でる訳じゃないけどね、砂に減り込んだ、二本の足を窮屈そうに払い上げる、その面持ちは
流石に悲壮なまでで、何とはなしに気も重くなったものだけれど、それでそういう生徒達に
陸上部顧問の先生は目もかけない、声もかけないでいた。校舎の窓から眺めていると、
みんなと同じようにうごめいているのに。
そんなことが頭に過ったまま、しばらく僕はシマちゃんに見入っていた。
僕等の高校には意外と大きな裏山があって、グランドはその山を途中で切り込んで平たく
したもので、見晴らしもなかなか利くし、放課後の校庭に夕日が覗き込んでくると、太陽の
色もよく感じとれる。グランドの背後には、まだ頭を突き出したお山さんが陽を遮る訳で、
細々(こまごま)と目を向けると矢鱈(やたら)と気に付くものである。直視し難い黄色の
光が、ほとんど角度もなしに真っ直ぐ飛び込んできて、遠くのひとが消えたりしていた。
高校入学からその翌日にも中学からの同級生達は陸上部に入部し出して、僕はというと、
そういうつもりはなっかたけれども、取り敢えず部室までついて行ったら、なんでついて行ったかは
良く覚えていないけれど、ジャージに着替えさせられて校庭までついて行く羽目になって、とにも
かくにも、それがシマちゃんを初めて『目』にした時だった。
どこかで見たことがあったような気もしたけど、その時にそのことはそれ程気に掛かった訳じゃなくて、
ただ、動きたくはなくなって、しばらくそのままで居たいような、そんな感じだった。
それでも、次の日の朝、教室に入る前に、教室から出て来る、ジャージではなく制服を身に
着けているシマちゃんにぶつかり合って
「あっ、御免なさい。」
と赤面された時には、炭酸飲料が胸の中で噴き出して、体内が潤されたような、そんな心地良さ
があった。それが表現に現れていたかもしれない。『変な人』と受け取られたんじゃないかと、それを
思うと今でもこそばゆい。そういえば一度そのことをシマちゃんに問い正してみたことがある。
「覚えてない。」
と返されて、訳も分からず残念だった。
とにかく、校庭ではジャージだけど、制服だと同じ教室だということを発見して、それ以来何かと
気になって、暇があってはこっそりと横目を使うようになって、それでシマちゃんはというと、教室では
ほとんど注意を牽かれなかったのも、あながち僕が頓珍漢だった訳でもなくて、実際大人しく、
教室でおしゃべりをしていることも全くといっても良いほどなかったようで、声を出すのは出席を
とる時の「ハイ」だけだった。髪は黄のかかった茶色で、ショートカットにしていた。
その頃のシマちゃんは本当に物静かで、それでこれは今でもそうなのだけれど、恥ずかしがり屋
さんで、朝の廊下で擦れ違い様に大きな声で、
「おはよう。」
となどとすると、健康色の顔からその場で汗も噴き出さんばかりに上気してしまうので、同じクラスで
同じクラブだというのになかなか馴染めなくて、ただ、それでいてはにかみ笑いしながらも頭を傾げて
くれた、その様の様態、あな、えも言われんや。