少年


変な話しだが、私は、女の子に「赤飯炊いたの何時?」等と平気な顔をして尋ねることが出来る。
どうしてそんなことに興味が牽かれてしまうのだろうかと考えてみたのだが、それはそれで済んでしまう
のかもしれない。
けれども、色々と考えを巡らしているうちに、ただ単にそれだけではないことに気が付いていくように
なった。
恥ずかしい話で、と言っても、初めからよくもそんな話を臆面もなくすることが出来るものだと言われて
しまえば、私はゲラゲラと笑ってしまうだろう(それも可笑しな話だ)が、私は中学の時に教室中の
皆に大笑いされるようなことになったのかと言えば、それは、私がそれ迄オナニーをしたことがなかったという
事実を何不思議なものかという面で友人達の前で白状してしまい「何でしたくならねぇんだよ」だとか
「変なの」なり「くり(私の名字が栗山で、当時、私はそのようなあだ名で呼ばれていた)溜まってんじゃ
ねぇの」何て回りの皆からゲラゲラと笑われてしまい、色々とあれやこれやと変な想像をされたり、興味
本位でギラギラとした目で見られたりして、仕舞にはそのうちの一人が天井に向かってわざと皆に聞こえる
ように、
「くり、オナニーしたことないんだってぇ!」
と大声を張り上げたものだから、教室中にどっと笑い声が響き渡り、それから男どもはむせ返るように
しながら喉を詰らせて顔をくしゃくしゃにしていたり、女の子達の方はというと、今にして思えば、ニヤニヤ
としながらも奇妙な目を私に向けていたりしていたのを覚えている。
それで、私はと言えば、どうしたの?なり、皆どうして笑っているの?といった具合に何が何だか訳も
分からず、すました顔をしていたに違いなっかったと思う。
こんな馬鹿な話はないだろうと思うし、きっと、私は、その時、他人から見れば馬鹿面をしているように
思われていたのかもしれない。
その後は「くり、一遍やってみろよ」と言われたものだから、私は「何で?」等と馬鹿の上に又馬鹿を
塗りたくってしまうようなことを言ってしまい、隣に座っていた、当時、仲の良かった女の子には、肩を
揺すらせて口を押さえながらも指の間から、ひゃっひゃっひゃっといった笑い声が漏れて来て、じろりと
エッチな流し目をされてしまった。
それも、又、今の私だからそれと見当の付くだけのことで、今の私だったら、
「じゃあ、しごいてよ」
位のことは言えたかもしれない。
それから、又、当時の私を訳分かんなくさせたのは、
「どうしてやりたくならないの?」
という言葉だった。それで、私は、
「どうしてやりたくなるの?」
と聞き返してしまった。すると回りは又大きな笑い声を上げるのである。ほんとに子供だね、って。
そして、それを聞いたそのうちの一人が、
「分かった!やったことないからやりたくなるっていう気持ちが分かんないんだ」
等と発見々々という案配で私に指差すのである。又、馬鹿な私は、
「やりたくなる気持ち、ってどんな気持ちなの?」
等と大ボケをかましてしまうのである。
「だから。はぁ〜っていうか、あぁ〜っていうか」
「それって、どんな気持ちなの?」
「ハッハッハッツ、駄目だこりゃ」
「だから、どんな気持ちなの?」
「だぁかぁらぁ、あぁっ〜ていうか、は、はぁっ〜ていうか」
「それじゃあ、わかんないよぉ」
これでは話にならない。大笑いされるだけのことである。
ただ、私にも潜在的に性的欲求があったのは確かなことで、当たり前のことだが、それが、芽生えて来た、
というか、刺激が加えられたのは中学に入学してからのことだったと思う。
勿論、それ以前にも、勃起したり、女の子の方に目がいったりすることはあることにはあったのだが、中学に
入学してからの衝撃に比べたら、それはただの『笑劇』とでも形容すべきか、兎に角、胸が弾ける、というか、
カリカリが火照って来る、とでも言うべきか・・・
女の上級生がTシャツ姿で横を通り過ぎたりする時の興奮といったら、裸体の咲き乱れる花園に放り込まれた
ような気分で、歩いていくうちに間近に迫って来る『上級生』という名の女体に跳び付きたくなる衝動は、今の
私が純真で無垢な少年の頃だけに感じることの出来た、その瞬間の甘味を味わえるのであらば、どんな
行動に走ってしまうのだろうか想像さえもつかない、とでも言って置いてこの件に関してはこれ位で流して
しまいたいところだが、実際はそれ程想像に難くなく、そしてそんなことはこんな私でも恥ずかしくて口に
出せない。
そして、是が非でも付言せねばならぬことは、その頃の私はその始末の仕方を、一人ですることは勿論のこと、
相手があってそうすることでさえも、正直に話せば、知らなかった。
更に、私は、パンツの伸び縮みで圧迫されて閉じ込められ、そして、塞ぎ込まれてどうにも仕様のない、
あれの動きのどうにも開放のされない状態に不自由と窮屈を感じながら、悶々としたままの複雑でもある
曖昧さのうちにも甘味を覚えていくようになり、そして、夜になると、ひとり、静まり返った部屋の中で、
誰に教わるということでもなく、それを脱いで、或は、膝のところまでずり下げてしまって窮屈を取り払い、
ひんやりとさせられたそれを眺めていたり手で触れてみたりさせて、時には布団の中に潜り込み腹ばいに
なってそれをこすり付けたりしながら、知らず知らずのうちにもピストン運動をしていたりするようなことがあった。
それでも、その続きをしていけば白いものが出て来る等ということには気付くはずもなく、ましてやしごくという
アイデア何ぞ知る由もなっかた。
ただ、邪魔を取っ払いたくなり脱ぎたくなるという抑えられない気持ちは本当に自然なものであった。
「じゃあ、くり、夢精したことあんだろ」
「ム・セ・イ?何それ?」
「全然やってなくて、それで夢精したこともねぇのかよ」
「だから、それって何?」
「だから、くりだって嫌らしいこと考えたりすることあるだろ」
「えっ、ぁ、ぅん」
「あるだろ。そうだろ。そりゃそうだよ。くりだって男なんだから」
「じゃあ、女は嫌らしいこと考えないの?」
「ハッハッハッハッ、馬鹿、くり、女の方が全然嫌らしいんだぞ」
「そうなんだぁ」
「当たり前じゃねぇかよ」
「そんなことないよ、ひゃっひゃっひゃっ」
「嘘付け、御前がこん中で一番嫌らしい癖に」
「そんなことないよ、何言ってるの」
「ねぇ、どっちの言ってることが正しいの?」
「あたし、あたしの言ってること」
「馬鹿野朗、御前何か毎日家帰ってやってんだろ」
「えっ、何を?」
「御前、しらばっくれるのもいい加減にしろよ」
「えっ、何が?」
「何がって」
「だって、そんなこと言える訳ないでしょ」
「ねぇ、何の話、してるの?」
それで、私は、夢精とはどんなものであるかを知ることになり、胸の内には秘められた喜びを感じながら、
何日か経って(それを体験するということにでさえ、私は好奇心がうずきながらも幾日かはその気持ちを
抑えてみようという気持ちも働いていたし、又、楽しみはなるべく後にとって置きたいという、ちょっとした
、もう少し我慢してみよう、というような遊び心も沸いて来たりしていたのだが)、一度、寝る前にエッチな
ことを想像出来るだけ想像してみて、それから、布団の中に入ってみることにしたのである。

「ねぇねぇ、昨日、夢精しちゃった」
「くり、夢精するってことはそんな大きな声で言えることじゃないんだぞ。夢精するなんて恥ずかしいこと
なんだぞ」
私は、折角自分も皆と同じようになれたのにという気持ちが湧き上がっていたのだが、又、それを早く
皆に知らせたいという気持ちで一杯だったのだが、その気持ちはその一言で片付けられてしまい、
私は何とは無しに萎縮させられてしまった。
そして、又、どうしてなんだろう、という疑問ばかりが残るのであった。
それで、私は一時期、オナニーというものを試みてみようということを躊躇うようになってしまった。
それから、実際にしごいてみるということをしてみたのは、それから数ヵ月後の中2の秋になってからの
ことであった。
その時の感動といったら、これは今の私だから思うことであるが、それに関する何の知識も経験も
ないままに、勿論、一滴も零すことのないままで、それの上手な女の人にやってもらっていたならば、
どんなに興奮していたのであろうか、と、どんなにドキドキさせられることだったのであろうか、と、又、
どんなに気持ち好かっただろうか、等と思うのである。
それで、私は、自分に息子が出来たのであれば、何も知らないうぶなままで色気のある、そして、
それの上手な女の人を与えてあげたらどういうことになるのかと思ったりして、実際、それを行動に
移してしまおうか等と変態染みた考えを持っているのである。
又、その相手が自分の女房だったとしたら自分も楽しめるのではないかと考えてみたりもすることがある。
そして、勿論、私に娘が出来たのであれば、何も知らないうぶなままで嫁に出してしまおうかとも
考えてみたりもするが、自分が全てを教えてしまおうかとも考えているのである。
事実、私は、自分に娘が出来たのなら、毎日一緒に御風呂に入って、身体を洗ってあげたり
マッサージをしてあげたりしていきながら、女の喜びを徐々に芽生えさせてあげようかとも思っている。
それから、休みの日には、一緒に肩を組んで街を歩いてみたいという願望さえ持っている。
但し、私は、私の女房が私の息子を優しく包み込んであげるということには抵抗はない(是非とも
そうしてあげて欲しいし、又、それには私なりの考えがあって、それは、自分の息子がそういう年頃に
なってさえいたとしても、その位の年令の少年が牽かれてしまうような女房であって欲しいと、実は、
思っているのである)が、私が私の娘に入れてしまうということには抵抗感を持っている。それでも、
処女のままで焦らすだけ焦らして置いて、それでいて、その続きをしたのであればこんなものではない
という知識だけはたっぷりと叩き込んで、それで、その状態にどうしても耐え切れなくなってしまったので
あれば、その場で嫁に出してしまおうかとも考えているのである。

僕は、野球少年だった。
坊主頭にして、玉拾いばかりさせられて、先輩の荷物を持たされて、毎日々々がそんな退屈で嫌で
窮屈なことの繰り返しだった。
それでいて、ストレスを発散出来る場も術もなくて、僕は、学校生活そのものが、そして、日常生活
に迄それが及んでしまい、我慢を強いられることばかりの連続であった。
それでも、毎日、素振りとランニングだけは欠かさず行っていて、それから、一日三十分だけは勉強を
していた。十分は英単語を覚える為に使い、十分は数学の公式を覚え、それを使って解く計算問題を
二〜三問取り組むことに費やし、あと残りの十分は国・理・社のその日習ったことの復習をノートに目を
通すだけで済ませてしまっていた。
普段、勉強の方はその程度のことしかやれる時間がなかったものの、たとえそれが一日たった三十分程度の
ものでしかなかったとはいえ、そんな毎日の積み重ねがあった為に、試験になれば部活動の方は休みに
なっていたこともあり、僕は、その短期間の間で試験勉強を集中して行うことが出来、成績は常に学年で
トップクラスだった。
もしかしたら、そのことが、その当時の僕のストレスを発散出来るものとなっていたのかもしれない。
このことは、今の僕が考えてみても信憑性のあることのように思えて、何故なら、二年生になって先輩の
数が減って来たりして、僕もキャッチボール位はやらせてもらえるようになった頃には学校生活も楽しいものと
なってきて、それから、家に居てもゆとりのようなものが感じられるようになってきたから。
それで、隣りにした女の子等と授業中に休み時間に掃除の時間におしゃべりばかりをするようになって、何か、
いいなぁ、等と、それは、恋と呼べる程のもどではなっかたが、そういう気持ちになったりして、それから、学校の
帰りがけに一緒に自転車の二人乗りをして海辺の海岸通りを走ったりして、その時の胸のときめきと潮風の
心地良さは、今以てして忘れることが出来ない思い出として、時折、散歩がてらにその辺の辺りをとぼとぼしたり
すると、思わず笑んでしまったり、ただ、その子には、僕は、学校でキャンプに行った時、皆が集会か何かで
集まっている間に、その子とその子の友達と僕だけがバンガローに残ってしまっていて、それで、何気のない会話を
していたのだが、その会話が途切れてしまってしばらくの沈黙のうちからいきなり跳び付かれて布団をかぶされ、
オナニーさえ知らなかった僕は必死になって抵抗してしまったというような経験があって、けれども、バレンタインデー
の日、その子が別の男の子にチョコレートをあげた直後の姿を見てしまった僕は何とも言様のない、
何故かしら寂しいような気分になってしまったことを覚えている(僕はその彼女の友達からチョコレートをもらった)。
そして、その日の夜になって、鉛を詰め込んだバットで素振りを一時間も二時間もしていた当時の僕はただただ
力任せに何度も何度も飽きることなくバットを振っていた。
ところで、その二人は、よく教室で互いに感じる部分を触り合ったりしていて、おしゃべり位は出来るようになった
僕だけど、そんなことにまでは、とてもとても、という具合だった僕はそれを羨ましげに横目でチラリとしながらも
全然気に取られていないといったような素振りをしていて、それでも、僕は、間違いなく顔を真っ赤にさせて
いたに違いなかっただろうし、心のうちでは嫉妬心さえ生じていたんだけれども・・・
ただ、その彼女はその男の子にチョコレートをあげたその場でふられてしまい、その直後の彼女の潤んだ瞳を
目にしてしまった僕は複雑な、それでいてとても可哀相に思えて仕方のない心境になってしまい、優しい
言葉ひとつさえかけてさえあげてやれなかった。
それ以後、クラス替えもあって、その子とはあまり話をしなくなってしまい(ただ、僕の誕生日が四月でその時には
手紙をもらったのだが、そこには、僕の期待しているようなことは書いていなかったし、でも、それだけでも
嬉しかったけれども)、互いにそれぞれのクラスで、又、適当に仲の良い友達が出来たりして、僕も恋何ぞ
するようになって(その話は、又、別の機会にゆっくりとお話したい思っている)、それから数ヵ月間はそ知らぬ
間柄となってしまっていたのだが、中3の夏休みに、

『暑中お見舞い申し上げます・・・ハガキだそうかださないか迷っておりましたけど、やっぱり出しました。
あいさつこそはしてませんが、できれば友達っていうのだろうか、そう呼びたいのです。
くりやまくんにはイロイロとおせわになりましたし、迷わくもかけたと思います。
2年の時の思い出が強く残っているのはあなたサマのいかげでもござります。
同じ班にも何度かなったし、2人乗りなどもしたおぼえがある。
それと今だからいえるけどこれはだれもしらないことで
もう少しで本めいをくりやま(くん)にしていたかもしれません。
本当に本当に楽しかったです。
ありがとう
ちょっと真面目な手紙になってしまった。
今、くりやまクンからもらった年賀状がそばにあるんだけども・・・ヨロシク』

というような暑中見舞が届いて、それから、最後の
『ヨロシク』
というのは、当時の僕が文章を書くときの締めとして常用していたもので、兎に角、僕は嬉しかった、とでも言うべきか、
読みながら興奮してきたというか、燃えてきたというか、やっぱり嬉しかったというか、それでその日が丁度最後の地区大会の
準決勝決勝のある日で、その頃スランプに苦しめられていた僕は、打ちに打ちに打ちまくり、僕達のチームは優勝した。
そして、それは、僕達にとっての最初で最後の初優勝だった。

ところで、中学に入学したばかりの僕が何を一番辛くて悔しいことに思えたのかと言えば、それは結局、とどのつまり、
授業中でも掃除の時間でも休み時間でも兎に角、側に女の子が居ると直ぐに打ち解けて楽しそうにおしゃべりを
することの出来る連中のことであり、彼らの話し声が聞こえてきたりすると、僕は、羨ましくただただ羨ましく思われて、
そして、嫉妬心が沸いて来るようになってしまって、けれども、その当時の僕はいわゆる優等生であったのだからして、
どうせ女のことに何か興味がないのだろうと見做されていたに違いはなかったであろうし、それでいて、実際には、
息苦しい思いさえさせられてしまっていた自分は、そうじゃない!等とは決して言い出せずにいて、それが、又、自分を
窮屈にしてしまったりしていて、だから、気軽に、或は、それとなく女の子に話し掛けられるような人や、彼らが恋だの
愛だのエッチなこと等を話したりしながら生き生きとしている表情や躍動を見せ付けられたりるすと、何か自分は
屈折してしまうのではなかろうかという不安を感じたりしながらも、それを表に現すことさえも出来ずに我慢に我慢を
重ねているのみばかりであってして、それは、未だに僕の中に潜むコンプレックスとして付着しているかのようでもあり、
僕は、ただ単におしゃべりをすることが大好きで大好きで、ただその相手が自分の思っている人であればどんなに
素晴らしいことではなかろうか、と思ったりすることがあるのは本当のところで、要するに、僕は、未だに自分の好きな
女の子に対しては素直になれないもどかしさのようなものがあったりして、こればかりはどうにも仕様がないのかも
しれない等と感じられたりして、それが、僕には、残念に思われて仕方がないのが実情のところで・・・